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小松加賀健民自転車道(一般県道 小松加賀自転車線)
小松市の若杉・吉竹地区に位置する自然いっぱいの憩いの森から沿岸部の安宅関址公園を経由し加賀市片野町まで海岸線を走行する延長26.7Kmのサイクリングロードです。
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来入寺のミズバショウ
山里の風情に真っ白なミズバショウが咲き乱れます
1558(永禄元)年の創立と伝えられる来入寺にある、約2000株のミズバショウがいっせいに咲き乱れる姿は圧巻です。小川の流れと緑、そして素朴な集落のたたずまいの中で、一層華やかさを増しています。
来入寺のミズバショウ
  • 能登
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旧材木町通り
藩政時代には、浅野川大橋から上流へ川沿いに通じる街道の両側に細長く家が並んでいました。尾山八町時代の古い町という説もあります。必ずしも材木商が集まっていたわけではないので、その名称の由来については定かではありません。かつては各種の職人が住んでいまし…
旧材木町通り
  • 金沢
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小松城本丸櫓台石垣
1639(寛永16)年、加賀藩三代藩主前田利常は、家督を嫡子の光高に譲り、自らは小松に隠居することを幕府に願い出て許されました。あわせて、一国一城令の例外として、小松城を修築・拡張して隠居城とすることも許されました。翌年6月、利常は小松に入城。9月に城の修…
小松城本丸櫓台石垣
  • 加賀
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西方寺古窯跡
中世に使用されていたとされる「珠洲焼」の窯業遺跡で、ほぼ完全な姿を保っており、珠洲古窯の構造を伝える貴重な遺跡です。2008(平成20)年、珠洲市と能登町にある11カ所の窯跡と共に、「珠洲陶器窯跡」として国指定史跡となりました。
西方寺古窯跡
  • 能登
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平沢嘉太郎の碑
江戸末期に石川郡田井村の農家に生まれた嘉太郎は、後に「北陸の材木王」と称される大商人となり、大正13年に浅野川電気鉄道を、翌年には粟ヶ崎遊園を開業しました。石碑は、晩年を過ごした「羽衣荘」跡地に昭和33年建立されました。また、粟ヶ崎遊園本館ゲートは…
平沢嘉太郎の碑
  • 金沢
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山中 片岡鶴太郎工藝館
一歩踏み込めば大正浪漫の世界へ。昭和6年に建てられた洋館建てが、平成11年に文化庁の保存建造物に登録されました。 この建物が鶴太郎さんとの出会いで、そのアートの息吹が伝わるように再生されました。源泉と工芸の街、山中にやすらぎと生きがいを与える場となる…
山中 片岡鶴太郎工藝館
  • 加賀
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武家屋敷 寺島蔵人邸
加賀藩中級武士 寺島蔵人の屋敷。家屋・土塀・土蔵は江戸時代中期の武家屋敷の姿を伝えるものとして、池泉回遊式の庭園とともに金沢市指定文化財史跡となっています。
樹齢300年以上と伝わるドウダンツツジが四季を彩る庭園は見ごたえ十分。画人としても知られる蔵人の作品や伝来の書画工芸も鑑賞できます。邸内の茶室では、寺島家の家紋の形に作った干菓子で抹茶を味わえます。茶室から蔵人が眺めた景色をお楽しみください。
武家屋敷 寺島蔵人邸
  • 金沢
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徳田秋聲記念館
金沢の三文豪の一人で「女性を描かせたら神様」と評された自然主義作家・徳田秋聲を紹介する記念館です。ゆかりの場所である「ひがし茶屋街」に近接し、多くの遺品、直筆原稿、初版本を展示する他、忠実に再現された書斎や代表作を和紙人形で紹介するシアターがありま…
徳田秋聲記念館
  • 金沢
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桃雲寺
慶長5年(1600年)、前田利家墓守の菩提寺として建立されました。はじめ野田宝円寺と呼ばれましたが、のち利家の戒名をとり高徳山桃雲寺と称しました。元和2年に焼失し、芳春院(利家夫人まつ)により再建されましたが、明治6年再び焼失し、再建しました。境内に芳春院が…
桃雲寺
  • 金沢
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西盛友堂
小野窯発祥の地で4代にわたり九谷焼の製造・販売を行う窯元です。伝統工芸士西善雄作「赤絵金彩勧進帳の図飾皿」も必見です。絵付けやろくろ体験も人気です。ジャパンテントや修学旅行の受け入れもしており、多数の海外留学生が楽しんでいます。再興小野窯の作品をは…
西盛友堂
  • 加賀
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金沢縄文ワールド
環状木柱列を再現した空間の中で金沢の縄文時代にタイムスリップ
重要文化財「中屋サワ遺跡出土品」と国史跡チカモリ遺跡から出土した柱根を展示し、金沢の縄文遺跡の魅力を紹介する施設です。展示室中央にはチカモリ遺跡から見つかった環状木柱列を復元するとともに、中屋サワ遺跡から出土した土器や木製品、漆器など、縄文時代晩期…
金沢縄文ワールド
  • 金沢
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江沼神社
江沼神社の創建は1704(宝永元)年といわれ、大聖寺藩祖前田利治と前田家ゆかりの菅原道真が祀(まつ)られています。境内の庭園は1709(宝永6)年に、隣接する長流亭とともに作庭されたものです。兼六園の影響を受けた池泉廻遊式武家庭園で、ひさご池や、中島にかか…
江沼神社
  • 加賀
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卯辰山天満宮
卯辰山天満宮は、卯辰山の中腹にあります。豊国神社、愛宕神社と並ぶ卯辰山三社の一つです。1866(慶応3)年、加賀藩14代藩主・前田慶寧が庶民の福利を図るため、卯辰山開拓時に、守護神として兼六園にあった竹沢御殿の天満宮を、この地に移しました。
卯辰山天満宮
  • 金沢
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串茶屋遊女の墓
小松市街地の南方、串茶屋町の東にある共同墓地内には、江戸時代中期から明治時代初期に建立された数多くの遊女の墓が守り伝えられています。串茶屋は、加賀藩三代藩主・前田利常の小松城隠居以降、北国街道の宿場として発展しました。その中で遊女たちは、文化交流の…
串茶屋遊女の墓
  • 加賀
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虚空蔵山城跡
室町から戦国期にかけての山城で、白米城、和気山城、舘城とも呼ばれていました。城主は兄の富樫正親と加賀の守護職を争い破れた富樫幸千代です。のちに一向一揆の旗頭である荒川市介、長山九郎兵衛らが居城し、1575(天正3)年、織田信長軍の武将柴田勝家が一向一揆…
虚空蔵山城跡
  • 加賀
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寿経寺
領内に大地震があった1858(安政5)年、米価暴騰に苦しんだ庶民が卯辰山から藩主に直訴しました。暴徒として5人が処刑され、2人が牢死。その供養のため、門前に七稲地蔵尊像(なないねじぞうそんぞう)を建立しました。心岩和尚筆弁財天画像一幅があります。
寿経寺
  • 金沢
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13代木村庄之助の碑
1853(嘉永6)年に第13代木村庄之助を襲名して以来、24年間立行司を務めた庄之助を記念して建てられた石碑です。庄之助の出身地でもあります。
13代木村庄之助の碑
  • 能登
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銭屋五兵衛句碑
銭屋五兵衛の詠んだ句が刻まれた石碑です。銭屋五兵衛は、安永3年(1773)に加賀国宮腰(現在の金沢市金石)に生まれました。江戸時代末期、北前船船主として本格的に海運業に乗り出し、“海の豪商”“海の百万石”と称されました。藩の財政に尽くし河北潟の埋立に着…
銭屋五兵衛句碑
  • 金沢
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竹久夢二文学碑
湯涌逗留中の竹久夢二が彦乃との愛を歌った「湯涌なる山ふところの小春日に眼閉ぢ死なむときみのいふなり」の歌が、自然石に刻まれています。
竹久夢二文学碑
  • 金沢
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