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- 念西寺
- 浄土宗の寺院です。石川県松任の俳人千代女が、剃髪して尼になった後、この寺に起居したといわれています。このため、境内には千代尼塚があります。
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- 金沢
- 藤津比古神社
- 古くは熊野権現とも称し、特に本殿は「三間社流造り」で、かえる股、組物、幣軸など鎌倉時代の建築様式が用いられています。1214(正和3)年建造の棟札が同神社に保管されています。1967(昭和42)年に国の重要文化財の指定を受けました。8月14日夜には納涼祭(キリコ…
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- 能登
- 大津峰山 大光寺(バラ観音)
- 色とりどりのバラに囲まれたお寺
- 「関の地蔵」で知られる三重県亀山市関町の古刹関地蔵院(こさつせきじぞういん)の庵主(あんじゅ)である、七尾市出身の宮本光順氏が、志賀町に能登別院を建設し、ふるさとへUターンしました。宮本氏は、京都大覚寺華道芸術学院を卒業後、真言集大覚寺で修行、住職…
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- 能登
- 打越山 勝光寺
- 本願寺第五代綽如上人が江沼郡弓波で創建。七代目住職の子祐欽が村上義明の命により小松へ移り小松勝光寺を創建。三度の大火では焼失するも門徒衆の寄進・尽力で再建。山門は当地では珍しい鐘楼門使用で梵鐘は二階にある。
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- 加賀
- 国史跡 末松廃寺跡
- 7世紀後半に建てられた、北陸最古級の古代寺院跡。古代の貨幣「和同開珎」銀銭や、全国で初めて「女子像が線刻された土製品(瓦塔)」が発見されました。
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- 金沢
- 武家屋敷 寺島蔵人邸
- 加賀藩中級武士 寺島蔵人の屋敷。家屋・土塀・土蔵は江戸時代中期の武家屋敷の姿を伝えるものとして、池泉回遊式の庭園とともに金沢市指定文化財史跡となっています。
- 樹齢300年以上と伝わるドウダンツツジが四季を彩る庭園は見ごたえ十分。画人としても知られる蔵人の作品や伝来の書画工芸も鑑賞できます。邸内の茶室では、寺島家の家紋の形に作った干菓子で抹茶を味わえます。茶室から蔵人が眺めた景色をお楽しみください。
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- 金沢
- 長久寺
- 【曹洞宗】延宝4年(1676)、野田寺町覚源寺の遺址である現在地に移り長久寺を建立。当寺は、前田利春の三女で初代利家の妹・津世の菩提寺でもある。境内には芭蕉の碑や、樹齢400年近くになる金沢市保存樹の銀木犀がある。
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- 金沢
- 松月寺
- 【曹洞宗】境内には「大桜」と呼ばれる老桜があります。当寺二世至岸和尚が、三代藩主利常公から小松城内にあったものを拝受したと伝えられ、「御殿桜」の異名を持っています。学名をショウゲツザクラと言い、樹齢は約400年、国の天然記念物に指定されています。
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- 金沢
- 硲伊之助美術館
- 自然の中に建つ、芸術家硲伊之助の美術館
- 加賀平野の西端、小高い丘、雑木や竹に囲まれた木造の美術館です。木組み、木舞い、土壁白漆喰い仕上げ。木製建具、天然の石材によって造られています。硲伊之助は1895年に東京で生まれ、16歳でヒューザン会に出品。第1回、第5回で二科賞を受け、26歳の時、渡欧、通算…
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- 加賀
- 江沼神社
- 江沼神社の創建は1704(宝永元)年といわれ、大聖寺藩祖前田利治と前田家ゆかりの菅原道真が祀(まつ)られています。境内の庭園は1709(宝永6)年に、隣接する長流亭とともに作庭されたものです。兼六園の影響を受けた池泉廻遊式武家庭園で、ひさご池や、中島にかか…
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- 加賀
- 仏御前屋敷跡・仏御前墓
- 仏御前は1160年(永暦元)年に現在の原町のあたりで生まれました。美人で歌舞に長じており、1172(承安2)年、14歳で京に上って白拍子(しらびょうし)となりました。その美貌(びぼう)と優れた演技で、時の権力者・平清盛の寵愛(ちょうあい)を受けましたが、やが…
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- 加賀
- 雨の宮グリーン広場
- 西馬場地内の雨の宮古墳群に隣接する、山林の中にある憩いの広場です。わんぱく広場(芝生)には、スーパースライダーとコンビネーション遊具が設置されており、子どもに人気です。バーベキューセットが3基、水飲み場も整備されているバーベキュー広場は、夏ににぎわ…
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- 能登
- 泉鏡花「滝の白糸」碑
- 泉鏡花の出世作「義血侠血」の主人公の記念碑です。滝の白糸(本名:水島友)は、鏡花が生涯かけて追求した理想の女性像でもありました。
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- 金沢
- 旧材木町通り
- 藩政時代には、浅野川大橋から上流へ川沿いに通じる街道の両側に細長く家が並んでいました。尾山八町時代の古い町という説もあります。必ずしも材木商が集まっていたわけではないので、その名称の由来については定かではありません。かつては各種の職人が住んでいまし…
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- 金沢
- 西方寺古窯跡
- 中世に使用されていたとされる「珠洲焼」の窯業遺跡で、ほぼ完全な姿を保っており、珠洲古窯の構造を伝える貴重な遺跡です。2008(平成20)年、珠洲市と能登町にある11カ所の窯跡と共に、「珠洲陶器窯跡」として国指定史跡となりました。
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- 能登
- 柴垣古墳群(県指定史跡)
- 羽咋市柴垣町にある古墳時代中期から後期の古墳群です。前方後円墳3基、円墳10基で構成され、このうち親王塚古墳、円山1号墳、観音山古墳の3基が県の史跡に指定されています。親王塚古墳は全長35メートルの前方後円墳で、6世紀中頃の築造と考えられています。円山1号…
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- 能登
- 鈴内横穴古墳群
- 横穴とは、丘陵の中腹や崖面に横方向に穴を掘って造った墓室のことで、「横穴墓(おうけつぼ)」「横穴古墳」とも言われています。基本的には、横穴式石室を模倣した構造です。遺骸(いがい)を納める玄室(げんしつ)と、その入り口部分の羨道(せんどう)からなりま…
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- 能登
- 平時忠歌碑
- 能登へ配流となった平時忠が、荒涼とした中で、一族の行く末を思って歌った和歌が刻まれています。1189(文治5)年2月24日、時忠は都へ「還る」こともなく、淋しく配所の大谷で没しました。能登で生まれた時忠の子、時康は則貞家となり、同じく時国は時国家の始祖とな…
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- 能登
- 坪野哲久・山田あき歌碑
- 故郷を想う歌人の碑
- 志賀町立図書館横の小さな公園に、志賀町出身で能登を愛した歌人・坪野哲久(つぼのてっきゅう)と、能登を第二の故郷とした山田あきの歌碑が建てられています。歌碑の内容「蟹の肉せゝりくらえばあこがるゝ生れし能登の冬潮の底哲久」「きみとみるこの夜の秋の天の川…
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- 能登
- 本多町
- もとは加賀藩筆頭家老の本多家下屋敷があった場所です。本多氏家祖・本多政重は徳川家康、宇喜田秀家などに仕えた後、加賀藩2代藩主前田利長に仕えて5万石を受けました。これは加賀藩家中にあって最高禄で、この界わいには本多家の下屋敷と、その家臣たちの屋敷が建ち…
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- 金沢