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- 金城霊沢
- かつて芋掘藤五郎という男が、この湧水でイモを洗ったところ、砂金が出てきたという伝説があります。そこから、湧水は「金洗いの沢」と呼ばれるようになり、やがて「金沢」の地名が生まれたと言われています。
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- 金沢
- 大蓮寺
- 【浄土宗】初代利家の四女・豪姫の位牌所として知られています。野田山にある豪姫の五輪塔の墓を今も守り、豪姫の位牌と念持仏である聖観音を寺宝として安置。境内には豪姫と夫・宇喜多秀家の供養塔はじめ茶商・堂後屋、儒者・藤田維正などの墓があります。
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- 金沢
- 奥村家屋敷(加賀八家)跡
- 加賀藩家老の八家、通称「加賀八家」のひとつである奥村家の屋敷跡の土塀です。家祖・奥村永福(ながとみ)は前田利久(加賀藩祖前田利家の兄)に仕え荒子城代を務めましたが、利家が前田家を相続した際に前田家を一旦、辞しました。再び利家に仕えたのは1573(天正元…
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- 金沢
- 小松天満宮
- 小松城の鬼門を守った天神様
- 日本海へと注ぐ梯(かけはし)川のほとりに建つ小松天満宮は、加賀藩三代藩主前田利常公により明暦3年(1657)に、梅林院(宮司宅)とともに造営されました。その目的は、小松城、金沢城の鬼門の線上に正確に造営する事によって、怨霊から加賀藩を守ることだったといわれて…
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- 加賀
- 岩倉城址遊歩道
- 城は上麦口町の北東の標高296メートルの山頂に築かれていました。岩倉城は、一向宗門徒が、越前の戦国大名朝倉氏の加賀領内への侵入を阻止するために築いたものです。山頂にある岩倉城は、滓上川流域の城塞群の中でも織田軍の特徴を残している唯一の中世山城です。緑…
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- 加賀
- 能登国分寺展示館
- 国分寺は、鎮護国家のために聖武天皇の詔(みことのり=天皇の命令)によって全国に建立されました。能登国分寺は、843(承和10)年に豪族の氏寺を転用した国分寺で、古代能登国の中心寺院として400年間栄えました。能登国分寺展示館は、国史跡「能登国分寺跡」に隣接…
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- 能登
- 能登部神社
- 加賀藩初代藩主前田利家が深く崇拝し「兄宮の神域を侵すべからず」との掟書を記した高札を与えました。また、利家の側室寿福院がこの場所で加賀藩3代藩主前田利常を出産したと伝えられていることから、利常の産神として仰がれています。
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- 能登
- 泉鏡花記念館
- 鏡花の幻想世界に触れる
- 明治半ばから創作活動を始め、大正、昭和にかけて、多くの作品を生み出した泉鏡花は、やがて文豪とたたえられ、また天才とも謳われるようになりました。鏡花が幼少時代を過ごした生家跡に建つ記念館で、作品はもとより、鏡花の生涯とその生活感覚にまで触れることので…
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- 金沢
- 信行寺書院(和倉温泉) ※能登半島地震の影響により当面の間書院の拝観休業中 お参りはできます
- 国登録有形文化財に登録されている信行寺書院
- 御便殿は明治42年(1909年)に東宮殿下(後の大正天皇)が和倉行啓の際の休憩所として建てられました。信行寺にある御便殿は、随行員の控室であった供奉殿の部分であり、今は信行寺書院となっています。もともと御便殿は本殿(御座所)と供奉殿が一体となっていました…
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- 能登
- 山中 片岡鶴太郎工藝館
- 一歩踏み込めば大正浪漫の世界へ。昭和6年に建てられた洋館建てが、平成11年に文化庁の保存建造物に登録されました。 この建物が鶴太郎さんとの出会いで、そのアートの息吹が伝わるように再生されました。源泉と工芸の街、山中にやすらぎと生きがいを与える場となる…
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- 加賀
- 長谷部神社(山中温泉)
- 開湯伝説ゆかりの長谷部信連を祀る
- 加賀市山中温泉ゆげ街道の、脇道の参道を登り切った所にあります。山中温泉を再興したと伝えられる鎌倉時代前期の武士、長谷部信連を祀(まつ)っています。山中温泉は約1,300年前、北陸行脚で江沼国菅生神社に参拝中の僧行基が発見したとされます。ところがその後、…
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- 加賀
- 珠洲市立珠洲焼資料館【臨時休館中】
- 平安時代末期から室町時代中期にかけての約400年の間、須恵器の伝統を受けつぎ、無釉(むゆう)、還元焔(かんげんえん)で焼かれた、灰黒色で力強い造形美を誇る「珠洲古陶」や資料を展示しています。時代による移り変わりや、流通した様子、当時の信仰や生活との関…
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- 能登
- 金沢・クラフト広坂
- 金沢の稀少伝統工芸を展示・販売しています。
- 金沢市指定の希少伝統工芸の今を一堂に集めたギャラリーショップです。加賀象嵌、加賀毛針、竹工芸、二俣和紙、加賀水引、桐工芸など、作り手が少なくなった伝統工芸の作品が充実しており、訪れた人誰もが本物に出会えるお店です。
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- 金沢
- 浅井畷古戦場
- 北陸の「関ケ原」
- 浅井畷の戦いは、北陸における「関ヶ原の戦い」として、慶長 5 年(1600)に東軍方の金沢城主・前田利長と、西軍方の小松城主・丹羽長重が戦った合戦です。古戦場には戦死した九士の石塔が建てられています。
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- 加賀
- 江沼神社
- 江沼神社の創建は1704(宝永元)年といわれ、大聖寺藩祖前田利治と前田家ゆかりの菅原道真が祀(まつ)られています。境内の庭園は1709(宝永6)年に、隣接する長流亭とともに作庭されたものです。兼六園の影響を受けた池泉廻遊式武家庭園で、ひさご池や、中島にかか…
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- 加賀
- 豊国神社
- 卯辰山三社の一つ。豊国神社は明治の神仏分離令の際、豊臣秀吉を主神とし、卯辰観音から豊国神社と改称しました。
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- 金沢
- 雨の宮能登王墓の館
- 雨の宮古墳群に埋葬されていた出土品を展示しています。・展示品雨の宮1号墳出土品・・・銅鏡、石製腕飾類、刀剣類、その他雨の宮1号墳埋葬施設・・・粘土槨(かく)の実物大模型雨の宮古墳群の紹介パネル・映像ガイダンスロビー
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- 能登
- 小濱神社
- 現在の本殿は天保3年(1832年)金沢市五郎島町に、加賀藩によって造営された。その後、明治22年(1889年)に内灘町字大根布の地に移築され現在に至る。本殿(12坪)は、正面柱間三間、側面二間、入母屋造りで、千鳥破風、軒唐破風で柱間三間の向拝付の銅…
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- 金沢
- 虚空蔵山城跡
- 室町から戦国期にかけての山城で、白米城、和気山城、舘城とも呼ばれていました。城主は兄の富樫正親と加賀の守護職を争い破れた富樫幸千代です。のちに一向一揆の旗頭である荒川市介、長山九郎兵衛らが居城し、1575(天正3)年、織田信長軍の武将柴田勝家が一向一揆…
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- 加賀
- 小松城本丸櫓台石垣
- 1639(寛永16)年、加賀藩三代藩主前田利常は、家督を嫡子の光高に譲り、自らは小松に隠居することを幕府に願い出て許されました。あわせて、一国一城令の例外として、小松城を修築・拡張して隠居城とすることも許されました。翌年6月、利常は小松に入城。9月に城の修…
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- 加賀