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- 石川県立能楽堂
- 加賀宝生で知られる金沢の能楽の殿堂。「月例能」や「観能の夕べ」など手軽に能楽鑑賞が楽しめる行事が催される。
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- 金沢
- 金沢湯涌江戸村
- 金沢の奥座敷として親しまれる湯涌温泉の自然の中で、江戸時代の金沢城下町や加賀藩地域の民家を公開しています。国・県・市の指定文化財である農家や町家など、江戸期の建物を通して当時の暮らしを感じることができます。毎月民家を活用した企画を行っており、金沢を…
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- 金沢
- 末森城跡(県指定史跡)
- 加賀・能登・越中の国境に接する重要な城郭として知られています。1584(天正12)年越中の佐々成政が15,000の兵で末森城を攻めましたが、城主奥村永福は、わずかな兵で守り抜き、加賀藩祖前田利家の援軍もあって、佐々軍を破り、前田家の越中占領の端緒を開いたと伝え…
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- 能登
- 旧陸海軍 軍装展示館
- 旧陸海軍の軍装等の品々(軍略に用いられた装備品、銃後の守りにいた人への遺書や書簡)を展示する施設です。辻四二男氏が自宅を改造して展示しています。軍装品の資料館は全国に数ケ所存在しますが、同館のように展示品のすべてが一個人の手によって収集されているケ…
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- 加賀
- 穴水城趾
- 小又川(おまたがわ)河口の標高約60メートルの台地にあり、眼下に穴水港と市街地を望むことができます。1186(文治元)年、鎌倉時代の武将・長谷部信連が能登国大屋庄の地頭職に命ぜられて以来390年間、穴水城は長氏の居城でした。往時は、東西約550メートル、南北約…
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- 能登
- 道閑刑場跡
- 中能登町久江にある道閑が処刑された刑跡です。17世紀、長家の家臣団の内紛が原因で検地反対運動が起こり、首謀者とされる久江村の豪農園田道閑が断罪に処せられました。これが世にいう「浦野事件」です。道閑は、久江村の村端で磔(はりつけ)にされ、3人の男子も首…
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- 能登
- 愛染寺
- 片山津温泉の守護寺で縁結びの仏「愛染明王」をまつる
- 愛染寺は色々な特徴を持つお寺です。先ずは片山津温泉守護寺であることです。そして護摩堂に縁結びの仏「愛染明王」をまつる縁結びのお寺でもあります。日本初、はめ込み式の絵馬「一心絵馬」は縁結びの絵馬で、特許庁の実用新案登録を受けています。 また、永代…
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- 加賀
- 雨の宮古墳群
- 登れる古墳
- ※令和6年(2024年)能登半島地震の影響で1号墳・2号墳など主要な古墳は見学できません。雨の宮古墳群は、眉丈山(標高188メートル)の山頂を中心に、4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた36基の古墳から成っています。最も高い場所にある通称「雷ヶ峰」に位置…
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- 能登
- 魯山人寓居跡 いろは草庵
- 若き魯山人の息づかいを感じる… 魯山人寓居跡 いろは草庵 金沢の文人・細野燕台の食客となった魯山人は、大正4年秋から翌年春までの約半年間、山代温泉に滞在し、菁華窯などの刻字看板を彫った。 その寓居を当時そのままに公開しているのが、「いろは草庵」で…
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- 加賀
- あめの俵屋
- 1830(天保元)年創業のあめ屋です。初代次右衛門が、乳飲み子を抱えながらも母乳が出ず、困り果てていた母親たちの姿を見て、何とか母乳の代わりになる栄養価の高い食品はないかと考えた末に作り上げたのが、「俵屋のあめ」のはじめといわれています。
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- 金沢
- 梅ノ橋
- 花街に寄り添う趣のある木造風の架け橋
- 浅野川大橋の上流側に架かる木造風の梅ノ橋。この橋は歩行者専用となっていて兼六園などがある市の中心地から、ひがし茶屋街へ歩いて行くときに便利です。 橋の周辺は地元の文豪・泉鏡花の出世作『義血侠血(ぎけつきょうけつ)』の舞台になっていて、ヒロイン・瀧の…
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- 金沢
- 重蔵神社 ※令和6年(2024年)能登半島地震の影響により当面の間休業中
- 1300年の歴史を誇る奥能登の古社
- 輪島市東部の海の近くに鎮座し、河井2,500戸あまりの産砂(うぶすな)神と仰がれるばかりでなく、鳳至一郡の総社として重きをなしています。また、重蔵権現、十蔵大権現、重蔵宮とも称され、神仏習合の堂塔伽藍(どうとうがらん)が立ち並んでいます。1906(明治39)…
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- 能登
- 明治の館〈室木家〉【令和6年能登半島地震の被害により、当面の間休館いたします】
- 室木家は、江戸時代には回船問屋や酒造業を営み、近代では国会議員を務めていました。豪壮な合掌組入母屋造りで茅葺の住宅が「明治の館」として公開されています。
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- 能登
- 輪島市文化会館
- 大ホールや展示室、会議室などの文化施設があります。
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- 能登
- 重要文化財 喜多家住宅
- 喜多家はもとは高崎姓を名乗った越前武士で、江戸中期に禄を離れ加賀に移住しました。その後野々市で灯油の製造販売を生業とし、屋号を油屋といい幕末からは酒造業を営んだ旧家です。1891(明治24)年野々市の大火で罹災し、現住居の新築にあたって金沢市材木町の醤油…
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- 金沢
- 須須神社
- 日本海側一帯の守護神であり、古代から縁結びの神としても知られている神社です。
- 能登半島の最北端に位置する、奥能登の「守護神」。奥社が鎮座する山伏山は、山の形が優美なため古くから崇拝を受け、海上航行の目標としても尊ばれました。当初は山伏山に創建されましたが、8世紀ごろに現在の地に遷宮したといわれています。1586(天正14)年、加賀…
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- 能登
- 和倉温泉 七福神福々めぐり
- 温泉街めぐりで福来たる!
- 和倉温泉の七つの名所にそれぞれの場所にちなんだ幸せを呼ぶ七福神の石像と顔の輪郭彫りが設置されています。各旅館にご用意してある用紙に七福神の輪郭を押しつけて、こすってください。七福神が七人揃ったら、和倉温泉旅館協同組合加盟の旅館宿泊で記念品をプレゼン…
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- 能登
- 峨山道
- 峨山禅師の遺徳をしのぶ「峨山道」
- 門前町「總持寺」と羽咋市酒井町「永光寺」を結ぶ約13里(約50キロ)の山道です。1340(暦応3)年から双方の住職を兼ねていた峨山禅師は、毎日未明に永光寺の朝課を勤めた後、この道を越えて總持寺に赴き、朝の読経に間に合ったと伝えられています。毎年、禅師の遺徳…
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- 能登
- 七尾豊年太鼓
- 700年前、能登地方に大干ばつが続いていました。農民は、田んぼの中に大きな櫓(やぐら)を建て、その上で必死に雨乞いの太鼓を打ち続けました。その願いが天に通じ、やがて大粒の慈雨が大地を潤し、豊作に恵まれたと伝えられています。以来、雨乞いの太鼓が「豊年太…
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- 能登
- 羽咋神社
- 羽咋の開拓神を祭る神社。
- 第11代垂仁天皇の第10皇子で、羽咋地域の開拓神とされている磐衝別命(いわつくわけのみこと)と、その息子で羽咋国造(くにのみやつこ)に任じられたとされる石城別命(いわきわけのみこと)を祭る神社です。磐衝別命にまつわる地域の伝承として、当時羽咋では怪鳥が住…
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- 能登