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- 住吉神社
- 本殿は市指定文化財で、社宝に住吉文庫が2,000点あります。4/4・5春祭(曳山祭)8/24・25夏祭(神輿、切籠、松明神事)
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- 第6代横綱阿武松緑之助碑
- 地方巡業で力士も立ち寄る石碑
- 郷土出身の力士で、第6代横綱となった阿武松緑之助の顕彰碑(けんしょうひ)です。高さ4.5メートル、幅2.4メートルの自然石で、筆跡は元公爵毛利元昭氏のものです。千石船を一人で引き上げた怪力は、講談などでよく知られています。この地方を力士が巡業する時は必ず…
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+ detail_5790.html
- 佐々木信綱歌碑
- 歌人・佐々木信綱(ささきのぶつな)が和倉を訪れたとき、万葉集で有名な大伴家持をしのんで詠んだ句です。「うた人の国守廻り見し日にも山きよらかに海しずかなりけむ」
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+ detail_5470.html
- 青林寺ライトアップ&贅沢ティータイム ※令和6年(2024年)能登半島地震の影響の為、イベントを中止
- 人気の観光スポットで当時の天皇気分を味わいませんか 能登島の和紅茶と七尾銘菓のおもてなしも
- 明治42年に大正天皇の休憩所として建てられた青林寺御便殿。期間限定でライトアップされた庭の風景が座卓に映り込み、その景色がまるで水鏡のよう。SNS映えスポットとして注目を集める青林寺で、時間が止まったかのような幻想的な世界を体験してみませんか。希少価値…
- + detail_21563.html
- 大伴家持歌碑(珠洲市春日神社境内)
- 748(天平20)年、万葉の歌人大伴家持が越中の国司の身で能登を巡った折、珠洲から船出の際に詠んだと言われる歌の碑です。
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+ detail_4775.html
- 白崎公園
- 七尾西湾に面した公園内には、大伴家持の歌碑や島田渓水の句碑があります。
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+ detail_5564.html
- 須曽蝦夷穴古墳
- 古墳時代の終わり頃に築かれたとされる有力者の墓です。一辺が約18メートルの方墳で、正面の墳丘の裾に低い石積みが巡らされています。墳丘内部には、近くの海岸から運んだ安山岩の板石で造られた一対の墓室(横穴式石室)があります。横幅の広い奥室(玄室)や、ドー…
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+ detail_5655.html
- 曹源寺
- 珠洲市長橋にある曹洞宗の寺院です。本尊は釈迦如来、羽咋市・永光寺の末寺で、永光寺の明峰素哲の高弟(こうてい)だった松岸旨渕が、1350年代に開山したと伝えられています。平安時代末期、若山荘の領家日野家とゆかりがあり、「日野の阿弥陀」と称される木造阿弥陀…
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+ detail_5706.html
- 豊財院
- 全600巻に及ぶ「血書大般若経」は圧巻。
- 今から約700年前、瑩山禅師によって能登で最初の禅修行の場として開かれました。山腹にあるため、ここからは羽咋市の街並みを一望できます。自らの手指を刺し、その血をもって「血書大般若経」を書写した月澗和尚(げっかんおしょう)は中興の祖とされています。「血…
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+ detail_6400.html
- 加能作次郎文学碑
- 富来の風土で育った文豪
- 郷土の作家、加能作次郎の文学碑です。富来漁港の南崖頂部の端の海岸に立っています。作次郎の学友である早稲田大学文学部長谷崎精二が撰文しました。立石の句は、長女の結婚に際して与えた自筆の色紙を模写したものです。碑石は、長さ3メートル、高さ1.5メートルあり…
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+ detail_5108.html
- 松波城跡
- 能登の守護大名畠山氏の流れをくむ戦国末期の武将、松波氏の居城跡です。1577(天正5)年、七尾城は上杉謙信によって落城しましたが、ほどなく松波城も同じ運命をたどります。それから数百年後、城跡から枯山水の庭園跡が発掘されました。大小の小石を配置して水の流…
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+ detail_6514.html
- 萬福寺
- 能登の内浦にある曹洞宗の寺です。木造如意輪観音坐像を本尊にしています。1320(元応2)年、公卿・日野資朝(ひのすけとも)により開祖されたと伝わっています。1556(弘治2)年、松波畠山家当主・松波義親(まつなみよしちか)が再建したとされています。そのため、…
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+ detail_6533.html
- 山口誓子句碑
- 「ひぐらしが鳴く奥能登のゆきどまり」。1961(昭和36)年、山口誓子が禄剛埼灯台を訪ねた際、台地に立って最果ての岬の感傷を詠んだ句碑です。
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+ detail_6654.html
- 輪島漆器大雅堂 展示場
- 大正17年から続く老舗
- 大物家具から日常使いの輪島塗まで、幅広く揃う。展示場入口には輪島塗朱塗りキリコと奴提灯も展示。連綿と守り伝えられてきた先人の知恵の結晶、輪島塗の世界が堪能できる。
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+ detail_6828.html
- 穴水町歴史民俗資料館
- 奥能登の玄関口にあたる穴水町は、古くから陸路と海路が交わる交通の要所でした。波静かな七尾北湾は、この地にさまざまな文化を育み、町の歴史に厚みをもたせました。このような地域性の中、穴水町の歴史を総合的に調査・研究し、散逸しがちな歴史的文化的資料の収集…
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- さとりの道
- 穴水町の中居地区は、江戸時代に北前船で栄え、集落に比較的多くの寺社があります。さとりの道は、海岸沿いの丘の上にある、8つの寺院・神社を結んだ散策コースです。起終点は穴水町中居地区です。経路は、能登中居鋳物館、地福院、明王院、一乗院、神杉神社、月光院…
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+ detail_5472.html
- 白山神社の石造五重塔(中段町)
- 白山神社参道を登った所に立っています。鎌倉時代に建てられたとされる、石で造られた高さ3.2メートルの五重の塔です。1段目の軸部に石仏が安置されています。
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+ detail_6247.html
- 永禅寺山古墳群
- 永禅寺(蟹寺)の裏山にある、6基の高塚古墳の円墳からなっています。発掘調査された一号墳、二号墳は、5世紀後半から6世紀初めごろの築造と推定されています。
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+ detail_6732.html
- 東嶺寺
- 昔は「花渓寺」と称していました。長家23代当主長連頼が、父・連龍の菩提(ぼだい)を弔うために、堂宇(どうう)を改築しました。そして1652(慶安4)年、連龍の法号「東嶺寺庵主」をとって東嶺寺と改称しました。藩政期は長家の菩提寺として保護され、境内左側の丘…
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+ detail_5894.html
- 藤津比古神社
- 古くは熊野権現とも称し、特に本殿は「三間社流造り」で、かえる股、組物、幣軸など鎌倉時代の建築様式が用いられています。1214(正和3)年建造の棟札が同神社に保管されています。1967(昭和42)年に国の重要文化財の指定を受けました。8月14日夜には納涼祭(キリコ…
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+ detail_6378.html