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- 春日神社
- 春日神社は、市役所そばの春日山麓にある、天児屋根命(あめのこやねのみこと)と六神が祭られている古社です。境内には、樹齢700年を越えると伝わる老杉が生い茂り、拝殿に進む石段の右手には、大伴家持が能登巡国の折、歌ったとされる万葉歌碑があります。平安時代…
- + detail_4948.html
- 柴垣古墳群(県指定史跡)
- 羽咋市柴垣町にある古墳時代中期から後期の古墳群です。前方後円墳3基、円墳10基で構成され、このうち親王塚古墳、円山1号墳、観音山古墳の3基が県の史跡に指定されています。親王塚古墳は全長35メートルの前方後円墳で、6世紀中頃の築造と考えられています。円山1号…
- + detail_5532.html
- 白山神社の石造五重塔(中段町)
- 白山神社参道を登った所に立っています。鎌倉時代に建てられたとされる、石で造られた高さ3.2メートルの五重の塔です。1段目の軸部に石仏が安置されています。
- + detail_6247.html
- 妙法輪寺のナンテン(県指定天然記念物)
- ナンテンは古くから薬用や観賞用にされ、縁起の良い木として愛されてきました。妙法輪寺では28株が叢生(群生)しており、株束周囲は根元99センチ、胸高160センチ、高さ7.52メートルです。株のうち最も太いものでは幹径11.6センチとなっています(1982年)。樹齢は300…
- + detail_6575.html
- 雨の宮グリーン広場
- 西馬場地内の雨の宮古墳群に隣接する、山林の中にある憩いの広場です。わんぱく広場(芝生)には、スーパースライダーとコンビネーション遊具が設置されており、子どもに人気です。バーベキューセットが3基、水飲み場も整備されているバーベキュー広場は、夏ににぎわ…
- + detail_4558.html
- 旧観坊
- 江戸時代に58あったとされる院坊のうち、現存する唯一の建物です。農家風の建物ですが、所々に院坊としての風格が残っています。江戸時代後期の建築物で、県指定文化財となっています。「絵様舟肘木(えようぶなひじき)」や「化粧?木(けしょうたるき)」にかつての…
- + detail_5202.html
- 散田金谷古墳(国史跡指定)
- 直径21メートルの円墳で、9.85メートルの横穴式石室がある構造は、全国でも例が少ないとされます。桜と緑に囲まれ、詩情豊かなこの古墳には、歴史のロマンに魅せられた多くの見学者が訪れます。
- + detail_5491.html
- 平時忠歌碑
- 能登へ配流となった平時忠が、荒涼とした中で、一族の行く末を思って歌った和歌が刻まれています。1189(文治5)年2月24日、時忠は都へ「還る」こともなく、淋しく配所の大谷で没しました。能登で生まれた時忠の子、時康は則貞家となり、同じく時国は時国家の始祖とな…
- + detail_5719.html
- 常椿寺のヤマフジ(夫婦藤)
- 能登町宇出津の高台にある巨樹で、樹齢およそ550年と言われています。昇龍(しょうりゅう)と臥龍(がりゅう)と名付けられた2本のヤマフジのうち、大きいもので根回り6.2メートル、胸高周囲4メートル、樹高25メートルにも達しています。2本のフジが互いに寄り添うように…
- + detail_5386.html
- 砂取節民謡碑
- 砂取節が県指定文化財に指定されたのを記念して、1966(昭和41)年に建立されました。
- + detail_5661.html
- 山口誓子句碑
- 「ひぐらしが鳴く奥能登のゆきどまり」。1961(昭和36)年、山口誓子が禄剛埼灯台を訪ねた際、台地に立って最果ての岬の感傷を詠んだ句碑です。
- + detail_6654.html
- 来入寺のミズバショウ
- 山里の風情に真っ白なミズバショウが咲き乱れます
- 1558(永禄元)年の創立と伝えられる来入寺にある、約2000株のミズバショウがいっせいに咲き乱れる姿は圧巻です。小川の流れと緑、そして素朴な集落のたたずまいの中で、一層華やかさを増しています。
- + detail_6755.html
- 高浜虚子句碑(七尾市)
- 1947(昭和22)年4月に建てられました。ホトトギス派の主宰として俳壇の最高峰にいた虚子が、和倉の波静かな海に吟じた一句です。碑文「家持の妻恋舟か春の海虚子」
- + detail_5733.html
- 国登録有形文化財 旧丹後邸
- 織物の先進技術を築いた拠点
- 平成27年に寄附された旧丹後邸が7月21日、国登録有形文化財に答申されました。旧丹後邸は、麻織物で成功した丹後氏の住宅で、当時の先進技術を導入し、絹織物の生産拡大に努め、海外への販路拡大を図っていた頃の繁栄を物語っています。母屋は農家風の特徴をもつアズ…
- + detail_21457.html
- 行幸啓記念御歌碑
- 「なみたーぬなーをうらのゆうくれにおーきのとしまよこたへりみゆ」。昭和天皇が第13回富山国体にご出席された際に、和倉温泉の加賀屋にお泊まりになられ、その際に詠まれた歌が刻まれています。同じ歌を刻んだ石碑は加賀屋にもあります。
- + detail_5229.html
- 久田船長碑
- 1903(明治36)年10月29日、日本郵船青函連絡船東海丸(1,121トン)の久田船長は青森湾で殉職しました。沈み行く船と運命を共にして職務を全うした久田船長の立派な行動が、海員の模範としてたたえられ、1934(昭和9)年、出生地である鵜川の菅原神社境内に石碑が建て…
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- 甘藷石碑
- 浜谷七郎兵衛が、この地に初めて甘藷(かんしょ)、いわゆるサツマイモを持ち帰ったことを記念して建てられた石碑です。
- + detail_4516.html
- 和倉小唄
- いつの頃からか和倉温泉旅館のお座敷で唄われていた小唄です。唄は3番まであり、和倉温泉の風景や風情をうたった内容となっています。歌詞の内容が全く違う「和倉小唄(なぎさいろどる)」も存在しています。和倉小唄の唄に合わせた踊りもありますが、現在は検番組合…
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