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- 琴江院
- 民話の寺としても有名で、所蔵している仏画が市指定文化財です。庭園は、高台と平庭で室町時代に造られたと伝わっています。
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- 信行寺書院(和倉温泉) ※令和6年(2024年)能登半島地震の影響により当面の間臨時休業中
- 国登録有形文化財に登録されている信行寺書院
- 御便殿は明治42年(1909年)に東宮殿下(後の大正天皇)が和倉行啓の際の休憩所として建てられました。信行寺にある御便殿は、随行員の控室であった供奉殿の部分であり、今は信行寺書院となっています。もともと御便殿は本殿(御座所)と供奉殿が一体となっていました…
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- 雨の宮能登王墓の館
- 雨の宮古墳群に埋葬されていた出土品を展示しています。・展示品雨の宮1号墳出土品・・・銅鏡、石製腕飾類、刀剣類、その他雨の宮1号墳埋葬施設・・・粘土槨(かく)の実物大模型雨の宮古墳群の紹介パネル・映像ガイダンスロビー
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- 曹源寺
- 珠洲市長橋にある曹洞宗の寺院です。本尊は釈迦如来、羽咋市・永光寺の末寺で、永光寺の明峰素哲の高弟(こうてい)だった松岸旨渕が、1350年代に開山したと伝えられています。平安時代末期、若山荘の領家日野家とゆかりがあり、「日野の阿弥陀」と称される木造阿弥陀…
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- 法華寺
- 寺宝「木造不動明王坐像」は重要文化財に指定されています。このほかにも、仏像や仏画、法具などの文化財が数多くあります。
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- 松波城跡
- 能登の守護大名畠山氏の流れをくむ戦国末期の武将、松波氏の居城跡です。1577(天正5)年、七尾城は上杉謙信によって落城しましたが、ほどなく松波城も同じ運命をたどります。それから数百年後、城跡から枯山水の庭園跡が発掘されました。大小の小石を配置して水の流…
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- 旧観坊
- 江戸時代に58あったとされる院坊のうち、現存する唯一の建物です。農家風の建物ですが、所々に院坊としての風格が残っています。江戸時代後期の建築物で、県指定文化財となっています。「絵様舟肘木(えようぶなひじき)」や「化粧?木(けしょうたるき)」にかつての…
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- 高浜虚子句碑(七尾市)
- 1947(昭和22)年4月に建てられました。ホトトギス派の主宰として俳壇の最高峰にいた虚子が、和倉の波静かな海に吟じた一句です。碑文「家持の妻恋舟か春の海虚子」
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- 能登部神社
- 加賀藩初代藩主前田利家が深く崇拝し「兄宮の神域を侵すべからず」との掟書を記した高札を与えました。また、利家の側室寿福院がこの場所で加賀藩3代藩主前田利常を出産したと伝えられていることから、利常の産神として仰がれています。
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- 久田船長碑
- 1903(明治36)年10月29日、日本郵船青函連絡船東海丸(1,121トン)の久田船長は青森湾で殉職しました。沈み行く船と運命を共にして職務を全うした久田船長の立派な行動が、海員の模範としてたたえられ、1934(昭和9)年、出生地である鵜川の菅原神社境内に石碑が建て…
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- 雨の宮グリーン広場
- 西馬場地内の雨の宮古墳群に隣接する、山林の中にある憩いの広場です。わんぱく広場(芝生)には、スーパースライダーとコンビネーション遊具が設置されており、子どもに人気です。バーベキューセットが3基、水飲み場も整備されているバーベキュー広場は、夏ににぎわ…
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- 舟橋聖一碑
- 七尾まだら碑と共に建立された、3個の碑で構成する一群の「七尾まだら」記念碑のひとつです。碑の歌は舟橋氏の自筆です。「赤襟のをとめもかりていろめきぬ七尾まだらのたのしき夜かな」
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- 甘藷石碑
- 浜谷七郎兵衛が、この地に初めて甘藷(かんしょ)、いわゆるサツマイモを持ち帰ったことを記念して建てられた石碑です。
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- 平時忠歌碑
- 能登へ配流となった平時忠が、荒涼とした中で、一族の行く末を思って歌った和歌が刻まれています。1189(文治5)年2月24日、時忠は都へ「還る」こともなく、淋しく配所の大谷で没しました。能登で生まれた時忠の子、時康は則貞家となり、同じく時国は時国家の始祖とな…
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- 国登録有形文化財 古民家みおやの里
- 農家風の雰囲気が今に残る
- 古民家みおやの里では、落ち着いた建物の雰囲気を活かした様々な用途で利活用されています。定期的な教室やイベントなどにも利用できます。近年は女性目線のイベントなどで、町内外問わず紹介でたくさんの方が集まります。
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- 国登録有形文化財 旧丹後邸
- 織物の先進技術を築いた拠点
- 平成27年に寄附された旧丹後邸が7月21日、国登録有形文化財に答申されました。旧丹後邸は、麻織物で成功した丹後氏の住宅で、当時の先進技術を導入し、絹織物の生産拡大に努め、海外への販路拡大を図っていた頃の繁栄を物語っています。母屋は農家風の特徴をもつアズ…
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- 和倉小唄
- いつの頃からか和倉温泉旅館のお座敷で唄われていた小唄です。唄は3番まであり、和倉温泉の風景や風情をうたった内容となっています。歌詞の内容が全く違う「和倉小唄(なぎさいろどる)」も存在しています。和倉小唄の唄に合わせた踊りもありますが、現在は検番組合…
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