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羽根万象美術館
能登町出身の日展参与、羽根万象氏の芳志により、49点の作品や小下図、79点に及ぶスケッチ画など、計135点が町に寄贈されたことを記念して、1989(平成元)年に開館しました。完成品のみならず、作品が完成するまでの過程を見られる個性的な美術館です。遠島山公園の…
羽根万象美術館
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国登録有形文化財 旧丹後邸
織物の先進技術を築いた拠点
平成27年に寄附された旧丹後邸が7月21日、国登録有形文化財に答申されました。旧丹後邸は、麻織物で成功した丹後氏の住宅で、当時の先進技術を導入し、絹織物の生産拡大に努め、海外への販路拡大を図っていた頃の繁栄を物語っています。母屋は農家風の特徴をもつアズ…
国登録有形文化財 旧丹後邸
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黒丸家
建物の古さや格式を持った間取り、屋敷構えから、中世の名主の系譜を引く家柄と考えられます。唯一の手がかりである過去帳には、明応9(1500)年の室町時代に始まる、60人以上の先祖が記してあり、古くから続く家であることを示しています。建築年代は明らかではありま…
黒丸家
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真言宗天王寺(しゃくなげ寺)
お寺の境内に咲き誇る
「能登の石楠花(しゃくなげ)寺」で知られている天王寺。4月下旬から5月中旬にかけて、寺の境内の斜面には約2,200株のシャクナゲが見事に咲き誇ります。これらの多くは個人の寄贈によるもので、一株一株に願いが込められています。
真言宗天王寺(しゃくなげ寺)
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輪島漆器大雅堂 展示場
大正17年から続く老舗
大物家具から日常使いの輪島塗まで、幅広く揃う。展示場入口には輪島塗朱塗りキリコと奴提灯も展示。連綿と守り伝えられてきた先人の知恵の結晶、輪島塗の世界が堪能できる。
輪島漆器大雅堂 展示場
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黒島天領北前船資料館
北前船文化の足跡が残る
門前地区には北前船をもたらした日本文化の足跡が数多くあります。中でも門前町黒島地区は17世紀後半に幕府の天領となり、北前船の船主や船乗りの居住地として栄えました。黒島天領北前船資料館は廻船業に関する資料や黒島天領祭で使われる曳山が展示されています。
黒島天領北前船資料館
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菅原神社
県内最古の菅原神社。960(天徳4)年、山城国北野天神より勧請されたといいます。加賀藩前田家は菅原道真の末裔と称していたため、1582(天正10)年、藩祖利家が戦勝を祈り社殿を造営して以来、歴代藩主の崇敬厚く、参拝、寄進が頻繁に行われました。全国的には菅原道…
菅原神社
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遍行寺
通称「ぼたん寺」
遍行寺の敷地には、あちこちに花壇が整備されており、様々な種類のぼたんが植えられています。ぼたん以外にも、ハナショウブ、オダマキ、シャクナゲなども植えられており、同時期に楽しむことができます。
遍行寺
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信行寺書院(和倉温泉) ※能登半島地震の影響により当面の間書院の拝観休業中 お参りはできます
国登録有形文化財に登録されている信行寺書院
御便殿は明治42年(1909年)に東宮殿下(後の大正天皇)が和倉行啓の際の休憩所として建てられました。信行寺にある御便殿は、随行員の控室であった供奉殿の部分であり、今は信行寺書院となっています。もともと御便殿は本殿(御座所)と供奉殿が一体となっていました…
信行寺書院(和倉温泉) ※能登半島地震の影響により当面の間書院の拝観休業中 お参りはできます
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青林寺ライトアップ&贅沢ティータイム ※令和6年(2024年)能登半島地震の影響の為、イベントを中止
人気の観光スポットで当時の天皇気分を味わいませんか 能登島の和紅茶と七尾銘菓のおもてなしも
明治42年に大正天皇の休憩所として建てられた青林寺御便殿。期間限定でライトアップされた庭の風景が座卓に映り込み、その景色がまるで水鏡のよう。SNS映えスポットとして注目を集める青林寺で、時間が止まったかのような幻想的な世界を体験してみませんか。希少価値…
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散田金谷古墳(国史跡指定)
直径21メートルの円墳で、9.85メートルの横穴式石室がある構造は、全国でも例が少ないとされます。桜と緑に囲まれ、詩情豊かなこの古墳には、歴史のロマンに魅せられた多くの見学者が訪れます。
散田金谷古墳(国史跡指定)
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能登国分寺展示館
国分寺は、鎮護国家のために聖武天皇の詔(みことのり=天皇の命令)によって全国に建立されました。能登国分寺は、843(承和10)年に豪族の氏寺を転用した国分寺で、古代能登国の中心寺院として400年間栄えました。能登国分寺展示館は、国史跡「能登国分寺跡」に隣接…
能登国分寺展示館
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松本清張歌碑
悲劇のヒロインの運命を悲しくも美しく謳った歌碑
「雲たれてひとりたけれる荒波を恋しと思えり能登の初旅」この歌碑は、松本清張作「ゼロの焦点」の小説の影響を受けて、能登金剛に身を投じた女性を哀悼するため、1961(昭和36)年7月に建てられました。悲劇のヒロインを思い、この地を訪れるファンも多くいます。ヒ…
松本清張歌碑
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珠洲市立珠洲焼資料館【臨時休館中】
平安時代末期から室町時代中期にかけての約400年の間、須恵器の伝統を受けつぎ、無釉(むゆう)、還元焔(かんげんえん)で焼かれた、灰黒色で力強い造形美を誇る「珠洲古陶」や資料を展示しています。時代による移り変わりや、流通した様子、当時の信仰や生活との関…
珠洲市立珠洲焼資料館【臨時休館中】
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懐古館【令和6年能登半島地震の被害により、当面の間休館いたします】
およそ200年前の肝煎(きもいり=庄屋)の住宅です。七尾城史資料館に隣接し、500坪の庭園が杉木立の深い緑に囲まれ、静寂に包まれています。建物は雪国らしい豪壮な柱と梁が組まれ、茅葺き屋根も美しく、古民家の素朴な美しさが息づいています。現在は市民の茶会や句…
懐古館【令和6年能登半島地震の被害により、当面の間休館いたします】
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東嶺寺
昔は「花渓寺」と称していました。長家23代当主長連頼が、父・連龍の菩提(ぼだい)を弔うために、堂宇(どうう)を改築しました。そして1652(慶安4)年、連龍の法号「東嶺寺庵主」をとって東嶺寺と改称しました。藩政期は長家の菩提寺として保護され、境内左側の丘…
東嶺寺
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穴水町歴史民俗資料館
奥能登の玄関口にあたる穴水町は、古くから陸路と海路が交わる交通の要所でした。波静かな七尾北湾は、この地にさまざまな文化を育み、町の歴史に厚みをもたせました。このような地域性の中、穴水町の歴史を総合的に調査・研究し、散逸しがちな歴史的文化的資料の収集…
穴水町歴史民俗資料館
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大伴家持歌碑(珠洲市春日神社境内)
748(天平20)年、万葉の歌人大伴家持が越中の国司の身で能登を巡った折、珠洲から船出の際に詠んだと言われる歌の碑です。
大伴家持歌碑(珠洲市春日神社境内)
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白崎公園
七尾西湾に面した公園内には、大伴家持の歌碑や島田渓水の句碑があります。
白崎公園
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豊財院
全600巻に及ぶ「血書大般若経」は圧巻。
今から約700年前、瑩山禅師によって能登で最初の禅修行の場として開かれました。山腹にあるため、ここからは羽咋市の街並みを一望できます。自らの手指を刺し、その血をもって「血書大般若経」を書写した月澗和尚(げっかんおしょう)は中興の祖とされています。「血…
豊財院
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