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- 圓證寺
- 【真宗大谷派】永正元年(1504)、藤原重之が出家し、貞珊と名乗って一宇を建立し、圓證寺と称しました。藤原重之は戦いに敗れ、河北郡戸室新保村に隠れ住んでいましたが、山号はその地名に由来するものです。慶安3年(1650)、火災により、現在地に移転しました。
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- 金沢
- 瑞雲寺
- 【曹洞宗】寛正6年(1465)、州山が越前府中(福井県越前市)にて創建しました。天正18年(1590)、三代蘭室が金沢に来た際、初代利家の家臣寺西宗与が開基となって木ノ新保に建立しました。ソ連抑留者供養のためダモイ観音が安置され法要が行われています。
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- 金沢
- 融山院
- 【曹洞宗】元和9年(1623)、丹波国円通寺の住持であった融山泉祝和尚が、加賀藩家老・横山長知の請を受け、八坂で松山寺を建立。その後隠居して結んだ庵が当寺の起こりです。3000坪を有する伽藍となるが、幕末の廃仏毀釈で堂宇は消滅しました。
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- 金沢
- 妙慶寺
- 【浄土宗】初代利家の家臣・松平康定は利家と越中の佐々成正と交戦の折、極楽寺を本陣とし戦勝。後に寺は康定に伴い金沢に移り妙慶寺と改名。元日本排球協会会長で男子金メダル監督の故松平康隆氏、国連日本初代大使松平康東氏の祖先墓があります。
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- 金沢
- 即願寺
- 【真宗大谷派】開山である念西は信州高森の郷士・高森壱岐守秀知と称し、越中国新川郡黒崎村に住んでいたが、のちに金沢に移り、万治4年(1661)現在地に移りました。寺宝には、聖徳太子木像、蓮如上人御筆二軸、親鸞筆月影歌一軸などを有しています。
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- 金沢
- 常福寺
- 【日蓮宗】開山は正保4年(1647)、日條上人が高道町で建立。初め、卯辰山にあったが、明治元年(1868)3月5日に焼失したため、長久寺の客殿を移し、明治2年(1869)現在地に再建しました。境内は約200坪で、本堂・庫裡・山門などがあります。
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- 金沢
- 広昌寺
- 【曹洞宗】慶安2年(1649)、林道上人が金沢塩屋町に移したが、寛文10年(1670)、加賀藩の命により当地に寺地を賜わりました。毎月一回「秋葉講」などを行っています。画師・福島元興、明治の女子新聞記者・岡田愛子の墓などがあります。
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- 金沢
- 旧奥村家上屋敷土塀(金沢医療センター土塀)
- 加賀藩家老の八家、通称「加賀八家」のひとつである奥村家の屋敷跡の土塀です。家祖・奥村永福(ながとみ)は前田利久(加賀初代藩主前田利家の兄)に仕え荒子城代を務め、加賀藩初代藩主前田利家が前田家を相続した際に前田家を一旦、辞します。再び利家に仕えたのは天正…
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- 金沢
- 希翁院
- 【曹洞宗】境内には竹田忠順や富永家などの墓があります。竹田忠順は火消役で寺社奉行や公事場奉行を務め、連歌を好んだ加賀藩家臣。富永助信、助盛らは代々藩に仕えた武士で香林坊に住み、「福は内、鬼も内」と言って豆まきをしたことで知られています。
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- 金沢
- 開禅寺
- 【曹洞宗】慶長4年(1599)に、二代利長と共に高岡から移転。加賀八家の一つ長家の菩提寺であり、六代善連、七代連起、八代連愛ら一族が葬られています。長連龍の娘で、利長の養女となり、前田美作守直知の継妻となった久香院(求光院)の墓もあります。
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- 金沢
- 竹松海岸ハマナス群生地
- 5月、薄紅色の花が満開に!
- 竹松町のハマナス群生地(市指定天然記念物)は日本の南限に近く、大正時代に行われた県の天然記念物調査では県内最大規模を誇っていたようです。5月には薄紅色の花が満開となり、花びらは五弁でバラに似た芳香を放ちます。見ごろは5~6月です。
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- 白山
- 〔新収蔵資料紹介〕前田土佐守家の家老 生沼家
- 前田土佐守家資料館では令和元(2019)年度に、七十余点の古文書群「生沼甚左衛門家文書(仮称)」を前田土佐守家に関連する資料として新たに収蔵しました。 生沼甚左衛門家は前田土佐守家の重臣です。前田土佐守家をはじめ、一定以上の禄高を有する加賀藩士家…
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- 金沢
- 國泰寺
- 【臨済宗】二代利長夫人・玉泉院の二十五回忌法要の折、小松から三代利常がお参りに訪れ、装束を当寺で改めたと伝えられています。境内の秋葉権現を祭る堂は火ぶせの神として尊信されています。タカジアスターゼ創製の高峰譲吉博士の菩提寺でもあります。
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- 金沢
- 金石銭五公園
- 銭屋五兵衛の銅像が建っているところから通称銭五公園といいます。以前はこのあたりはすべて松林でしたが、戦後松の木やアカシヤの木が切られて住宅が建てられ広場が造られました。かつてこの地は五兵衛の句碑が建てられており、五兵衛の俳号からとって亀巣台と呼ばれ…
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- 金沢
- 妙国寺
- 【日蓮宗】慶長19年(1614)、開創。日蓮作と伝えられる大黒天像を安置し別名大黒寺とも呼ばれています。境内の大黒堂は十一代日亀の建立。丸い宝珠の形をしています。山門は安永9年(1780)の建立で、市指定文化財。蕉門中興の俳人成田そうきゅうの墓があります。
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- 金沢
- 本是寺
- 【日蓮宗】慶安2年(1649)本是院日理上人が創建。守護神「七面大天女」像は、日蓮宗総本山身延山久遠寺31世・一円院日脱上人より遣わされた身延七面山の尊像と同体。明和3年(1766)法華懺法会を厳修、金沢の日蓮宗寺院で受け継がれています。
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- 金沢
- 本行寺
- 【日蓮宗】元和3年(1617)、京都の寂光寺二代・本行院日海が創建。日海は日本初の棋聖本因坊であり、三代利常を指南し、そのお礼に寺地を得ました。本多安房守、横山山城守の庇護を受けました。3度の火災にあったが明治36年(1903)再建されました。
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- 金沢
- 西山蓮如堂
- 浄土真宗の名僧・蓮如像があります。大乗寺丘陵の中腹で、市内を一望できます。
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- 金沢
- 徳法寺
- 【真宗大谷派】天和2年(1682)僧宗入の創建になります。明治初期の大火で類焼し、現在地に移転しました。建物は平成元年に再建されたものです。
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- 金沢
- 長周寺
- 【真宗大谷派】嘉禎2年(1236)、近江の国、醒井城主・廣田稲葉守重長が出家し、教西坊となり当寺を創建しました。後の文明3年(1471)、第七世・善智坊が本願寺蓮如に随って北国で布教した折、金沢の石引に移りました。
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- 金沢