大聖寺城址

だいしょうじじょうし
エリア:
加賀
カテゴリ:
歴史・文化 史跡・文化財
大聖寺市街地の西端、通称錦城山にある城跡で、藩政期には古城山といわれています。南北朝時代の『太平記』が初見である。その頃の城跡は錦城山背後の津葉城であったといわれています。以後度々合戦の舞台となったが、この地が水陸交通の要衝であり越前国境にも近く、標高約63mの里山でありながら南・北・東の斜面は急で、天険の要害をなしているなど、重要な軍事拠点であったと見られています。戦国末期に至って加賀の一向一揆の拠点となり、越前朝倉氏との激しい攻防戦が当城を中心として繰り広げられました。やがて織田信長による一向一揆制圧の後、天下の覇者となった羽柴秀吉はこの地を丹羽長秀に与え、その与力であった溝口定勝(秀勝)が四万四千石で大聖寺城主となりました。現在残る縄張りの原型はこの頃構えられたものと推定されています。在城15年で越後国新発田へ転封した後、小早川秀秋の家臣であった山口玄蕃頭宗永が七万石で入城しましたが、2年足らずの慶長五年(1600)前田利長に攻められ、落城しました。以後、前田方の重要な抑えとして修築され城代を置いたものの、15年後の元和元年、『一国一城令』によって廃城となりました。大聖寺藩分封の際にも再建されることなく麓に藩邸を構えるに止まりました。藩政期はお止め山となっていたため保存状態は極めて良好で、各曲輪の虎口形態や本丸の櫓台・大土塁等に堅固な防御の工夫が凝らされていることが良く理解できます。近年実施された踏査で、かなり複雑な構造をした天守相当の本丸櫓があったことが判明し、その櫓台や馬出し部分に石垣があったことも確認されました。織豊時代の領主本城としては県内唯一の遺存例であり、織豊系城郭の発達過程や地方伝播を知る上で、貴重な城跡となっています。
住所 〒922-0861 石川県加賀市大聖寺地方町
電話番号 0761-72-7888(加賀市産業振興部文化振興課文化財保護グループ)
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交通アクセス(車)JR大聖寺駅から徒歩約15分。
北陸自動車道加賀ICから車で約5分。
交通アクセス(公共)JR加賀温泉駅から加賀周遊バス キャン・バス海まわり、15 舟と久弥と長流亭バス停から約500m
駐車場周辺に無料駐車場あり

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