安宅の関
1187(文治3)年、平家討伐に戦功のあった源義経が、兄頼朝の怒りに触れて、奥州平泉の藤原氏のもとに落ちのびようとし、一行が山伏姿に身をやつし、安宅の関にさしかかりました。
この時、関守富樫左衛門泰家に見とがめられましたが、弁慶の機知と勇気により、危うくその難を免れたという伝説が、勧進帳や謡曲で知られています。
関址は、日本海に面した小高い砂丘にあって松原に囲まれています。「安宅関址」の石標、関の宮、与謝野晶子歌碑などがあり、また一角に、日展作家故都賀田勇馬氏の制作による弁慶・関守富樫の大銅像や、資料、宝物を多数展示した「勧進帳ものがたり館」や、日本海を一望できるレストハウス「『安宅の関』こまつ勧進帳の里」があります。
その台石に刻まれた「智・仁・勇」は、寄進者永井柳太郎(金沢出身の戦前の政治家)の筆になるもので、弁慶・関守富樫の心情を端的に表しています。石川県指定史跡です。
この時、関守富樫左衛門泰家に見とがめられましたが、弁慶の機知と勇気により、危うくその難を免れたという伝説が、勧進帳や謡曲で知られています。
関址は、日本海に面した小高い砂丘にあって松原に囲まれています。「安宅関址」の石標、関の宮、与謝野晶子歌碑などがあり、また一角に、日展作家故都賀田勇馬氏の制作による弁慶・関守富樫の大銅像や、資料、宝物を多数展示した「勧進帳ものがたり館」や、日本海を一望できるレストハウス「『安宅の関』こまつ勧進帳の里」があります。
その台石に刻まれた「智・仁・勇」は、寄進者永井柳太郎(金沢出身の戦前の政治家)の筆になるもので、弁慶・関守富樫の心情を端的に表しています。石川県指定史跡です。
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