長町武家屋敷をオトナ散歩してきた!
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※このブログは2022年3月時点の情報です。
金沢の繁華街、香林坊・片町から脇道を5分ほど歩いた場所にある「長町武家屋敷跡」。
昔ながらの土塀や石畳の小路が残っており、豪壮な武家屋敷が立ち並んでいます。伝統環境保存区域および景観地区に指定されていて、趣のある景観が今でも維持されているエリアです。
今回は、金沢の歴史に詳しい東さんに教えてもらい、長町武家屋敷跡をゆっくりとお散歩してきました~!
晴れた日は長町武家屋敷跡を散歩してみませんか?
この日は晴れていて、まさにお散歩日和でした。
長町武家屋敷跡周辺は、いつ来ても静か。近くに繁華街があるなんて思えません!
土塀が続く街並みを歩いていると、まるでタイムスリップしたような気分になります。
長町武家屋敷跡周辺は、いつ来ても静か。近くに繁華街があるなんて思えません!
土塀が続く街並みを歩いていると、まるでタイムスリップしたような気分になります。
武家屋敷跡 野村家
まず歩いてやってきたのは、「武家屋敷跡 野村家」!
長町武家屋敷跡エリアで唯一、一般公開されているのが、この「武家屋敷跡 野村家」です。
前田利家に仕えた野村伝兵衛信貞の屋敷跡になります。
格式のある建物と、風情のある豪華な庭園が見どころだそうです!
さっそく中に入ってみよう♪
長町武家屋敷跡エリアで唯一、一般公開されているのが、この「武家屋敷跡 野村家」です。
前田利家に仕えた野村伝兵衛信貞の屋敷跡になります。
格式のある建物と、風情のある豪華な庭園が見どころだそうです!
さっそく中に入ってみよう♪
真っ先に目に留まったのは、やはり情緒あふれる美しい庭園。
庭園は決して広くはないのですが、日本庭園の素晴らしさを感じさせる重厚な造りになっていました!
木や橋などが巧みに配置され、庭園全体が落ち着いた雰囲気です。
樹齢400年以上で金沢市の保存樹に指定されている「山桃の木」や庭園内に13基もある「灯籠」、長さ約2メートルの「大架け橋」、そして奥の間からすぐに見えるスタジイという種類の樹齢400年を超える「シイの木」などの古木が、美しくバランスよく配置されています。
また、濡れ縁にせまる曲水や落水の立体的な水の流れが優雅な時を演出しています。
庭園は決して広くはないのですが、日本庭園の素晴らしさを感じさせる重厚な造りになっていました!
木や橋などが巧みに配置され、庭園全体が落ち着いた雰囲気です。
樹齢400年以上で金沢市の保存樹に指定されている「山桃の木」や庭園内に13基もある「灯籠」、長さ約2メートルの「大架け橋」、そして奥の間からすぐに見えるスタジイという種類の樹齢400年を超える「シイの木」などの古木が、美しくバランスよく配置されています。
また、濡れ縁にせまる曲水や落水の立体的な水の流れが優雅な時を演出しています。
アメリカの庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌の日本庭園ランキングで、なんと3位に選ばれているんです!また、野村家は「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」の格付けでも2つ星に選ばれており、世界的に高く評価されています。海外からの観光客も多いそうです!
縁側からこの庭園を眺めると、とても穏やかな気持ちになり、日々の忙しさや様々な感情を忘れることがでました。
縁側からこの庭園を眺めると、とても穏やかな気持ちになり、日々の忙しさや様々な感情を忘れることがでました。
階段をのぼって2階に上がると茶室がありました!ここでは、庭園を見ながらお抹茶をいただくことができます。
野村家内にある「鬼川文庫」では、野村家伝来の刀剣や前田家からの賞状など様々な資料を見ることができました。小判や重箱、硯箱など歴史を感じる資料に興味津々。金箔が施されているもののあり、どれもまるで芸術作品のようでした。
かっこいい刀剣をみて、思わず武士ポーズ(?)が出ちゃいました!
基本情報
武家屋敷跡 野村家
〒920-0865 石川県金沢市長町1-3-32
☎076-221-3553
【開館時間】
・4~9月:8:30~17:30
・10~3月:8:30~16:30
(入館は閉館の30分前まで)
【休館日】
12月26日・27日、1月1日・2日
【料金】
大人550円、高校生400円、小中学生250円
「旧加賀藩士高田家跡」で藩士の暮らしをのぞいてみよう
次に訪れたのは、「旧加賀藩士高田家跡」。
加賀藩に仕えた中級武士高田家の武家屋敷跡で、当時の武士の暮らしを垣間見ることができます。
加賀藩に仕えた中級武士高田家の武家屋敷跡で、当時の武士の暮らしを垣間見ることができます。
ここは「仲間(ちゅうげん)部屋」です。鎌倉時代から武士に付き従う身分の低い兵・仲間が住み込みで住んでいた部屋になります。仲間部屋には流しや台所はなかったので、母屋の台所で食事をとり、用は外便所で済ませていたそうです。
また仲間は、江戸時代になると、武家で働く最下級の奉公人として、親子代々で屋敷に仕え、互いを「若様」「じい」と呼び合い大切にされるようになったそうです。
また仲間は、江戸時代になると、武家で働く最下級の奉公人として、親子代々で屋敷に仕え、互いを「若様」「じい」と呼び合い大切にされるようになったそうです。
敷地内には、馬を飼い、世話をするための小屋「厩(うまや)」もあります!ここ高田家では、2頭の馬を飼っていたそうです。
馬の世話も仲間の仕事で、朝起きて馬を歩かせたり、厩に藁を敷き詰めたり、馬をキレイに洗ったりと、いつでも主人が馬に乗って出かけられるように準備していたとのことです。
馬の世話も仲間の仕事で、朝起きて馬を歩かせたり、厩に藁を敷き詰めたり、馬をキレイに洗ったりと、いつでも主人が馬に乗って出かけられるように準備していたとのことです。
仲間部屋よりも広々としていました!
思わず馬のポーズ!「ヒヒーン」
基本情報
旧加賀藩士高田家跡
〒920-0865 石川県金沢市長町2-6-1
☎076-263-3640(金沢市足軽資料館)
【営業時間】9時30分〜17時00分
【定休日】年中無休(展示替え等のため休館する場合有り)
【入場料金】入館無料
「金沢市足軽資料館」で、藩を支えた足軽の生活を体感しよう
最後に訪れたのは、旧加賀藩士高田家跡近くにある「金沢市足軽資料館」です。藩政時代の足軽屋敷2棟が再現されています。
みなさん、「足軽」ってご存じですか?
足軽は、戦闘時に駆り出される歩兵のことで、低い身分でした。
しかし、豊臣秀吉のように戦場で功名を立て出世することができたため、農民の多くが足軽を志願したそうです。
足軽の住居といえば、長屋形式が一般的に知られています。しかし、加賀百万石の城下に住んだ加賀藩の足軽たちには、長屋ではなく、庭付き一戸建ての屋敷が与えられていたのです。ほかの足軽と比べてちょっとリッチなんです!
みなさん、「足軽」ってご存じですか?
足軽は、戦闘時に駆り出される歩兵のことで、低い身分でした。
しかし、豊臣秀吉のように戦場で功名を立て出世することができたため、農民の多くが足軽を志願したそうです。
足軽の住居といえば、長屋形式が一般的に知られています。しかし、加賀百万石の城下に住んだ加賀藩の足軽たちには、長屋ではなく、庭付き一戸建ての屋敷が与えられていたのです。ほかの足軽と比べてちょっとリッチなんです!
食事をしたり、一家団らんを楽しむ「茶の間」では、食事の様子が再現されていました!
当時の食事は、箱膳(はこぜん)をならべてとっていたそうです。1日の食事は朝と夜の2回だけが普通らしいのですが、毎日3食しっかり食べる私たちは、「少ないよね~。お腹すきそう~。」なんて話に。
しかし、1日2回の食事でも、現代人よりもお米を食べていたという噂も、、!!
当時の食事は、箱膳(はこぜん)をならべてとっていたそうです。1日の食事は朝と夜の2回だけが普通らしいのですが、毎日3食しっかり食べる私たちは、「少ないよね~。お腹すきそう~。」なんて話に。
しかし、1日2回の食事でも、現代人よりもお米を食べていたという噂も、、!!
台所からも当時の様子がうかがえます。時代劇などでこのような台所を見たことがあります!!
見どころがいっぱいの「金沢市足軽資料館」ですが、一番の注目ポイントは「玄関」の石畳みです!!
この石畳はある動物をモチーフにした形になっているのですが、この動物は何だと思いますか??
この石畳はある動物をモチーフにした形になっているのですが、この動物は何だと思いますか??
正解は・・・・・カメです!
縁起が良いとされるカメがモチーフになっています。
当時、足軽に何か呼び寄せがあるときは、前日に使いの者がやってくるのですが、使いがどこから家に入ってきたかで、良い知らせか悪い知らせかがわかったそうです。昇進や拝領などの吉報は「玄関」から、お咎めなどの悪い知らせは「勝手口」から。いつの頃からかそんな慣習が出来たそうです。
『吉報は玄関から』
玄関を清潔に保ったり、キレイにしていたりすると、良いことが家に入ってきそうですね。
さっそく帰ってから玄関掃除をします!