能登の祭り文化を受け継ぐ人々|担ぎ手が見た“キリコ”と地域の熱気

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能登半島の夜の町を照らす巨大な灯り「キリコ」。その迫力ある姿を写真や映像で目にしたことがある方も多いかもしれません。宇出津のあばれ祭りや、七尾の青柏祭(せいはくさい)は全国的にも知られ、能登の祭り文化を象徴する存在です。

しかし今回取り上げたいのは、有名かどうか、規模が大きいかどうかではありません。観光として成立しているわけではなく、「毎年の神事を執り行うこと」に意義がある祭りが数多く存在します。

担ぎ手不足、高齢化、準備の担い手減少。そうした現実と向き合いながら、「先祖代々続けてきた、五穀豊穣無病息災を神様に願う神事を絶やさないためにどうするか」を毎年考える住民たち。本記事では、2025年に実際に現地で取材・参加した祭りを通して暮らしの中に根づく能登の祭り文化と、人々の意識をお伝えします。

能登の祭り文化を受け継ぐ人々|担ぎ手が見た“キリコ”と地域の熱気

能登の祭り文化とは

能登半島では沿岸部を中心に、豊漁などを祈願するキリコ祭りが広く行われています。キリコとは、木製の骨組みに和紙などを張り、内部から灯りを入れた大型の灯籠です。現在、能登では200以上の地域でキリコ祭りが行われているとされており、集落ごとに大きさや装飾、担ぎ方も異なります。

一方で、山側の地域はキリコではなく神輿を中心とした祭りが行われています。能登の祭りは地域の暮らし方そのものが反映された文化だと言えるでしょう。

能登の祭り文化を受け継ぐ人々|2025年に取材した3つの祭り

2025年、筆者は以下の祭りを体験しました。


  • ・あばれ祭り(石川県能登町宇出津)
  • 冨木八朔祭礼(石川県志賀町富来)
  • ・見竹萬燈祭(石川県志賀町長田)
  • ・小木袖ギリコ祭り(石川県能登町小木)
  • ・西海祭り(石川県志賀町西海)
  • ・久喜祭り(石川県志賀町西海久喜)


40基ほどのキリコが行進するあばれ祭りをはじめ、集落に残った20軒にも満たない家々を神輿だけが練り歩いていく祭りまで、そのどれもが地域独自の文化を大切に守っていることが伝わってきました。

今回はこの中でも、取材・参加の機会が多かった冨来八朔祭礼・小木袖ギリコ祭り・西海祭りについて、関係者にインタビューを行いました。

祭りを支える「ヨバレ」の文化とは

  • あばれ祭り 大橋組のみなさん

能登の祭りで特徴的なのが「ヨバレ」という風習です。これは親族や友人、知人を中心に食事やお酒をふるまう文化を指します。単なるおもてなしではなく、「関わる人を仲間として迎え入れる仕組み」として、祭りを支えてきた知恵だと感じました。家庭によっては誕生日よりも、盆正月よりも気合が入ります。

(1)冨木八朔祭礼(石川県志賀町富来地区)

冨木八朔祭礼(とぎはっさくさいれい)は、志賀町富来地区で毎年8月第4土曜日と翌日の日曜日に行われる祭りです。港町・富来の歴史とともに受け継がれてきたキリコ祭りで、例年は2日間にわたり開催されます。2024年は震災の影響で縮小し1日開催となりましたが、2025年は2日開催に戻りました。

八幡神社の男神様を迎えに行き、女神様のいる住吉神社までお供するのが、この祭りの二日間です。うだるような暑さの中、海辺に並ぶ神輿の美しさがひと際目を惹きます。

インタビュー|冨木八朔祭礼壮年会協議会会長 松本航さん

2025年に会長を務めた松本さんにお話を伺いました。祭礼中は進行役を担うため、会長を務めた年はキリコや神輿を担ぐことができないのだそうです。

矢島
まず、冨木八朔祭礼とはどのようなお祭りなのか教えてください!
矢島
松本さん
祭礼の由来は諸説ありますが、その昔、増穂ヶ浦海岸に男神が流れ着き、それを女神が助けて住吉神社へ連れて行ったと伝わっています。しかし荒波の音を恐れ、男神は八幡神社へ移り住んだそうです。男神と女神の一年に一度の逢瀬を祝うのが祭礼の起源と言われています。旧暦の八月朔日に行われたことから「八朔祭礼」と呼ばれるようになったそうです。なお、似た内容になりますが、八朔祭礼のホームページにも祭礼の歴史が記載されていますので、ご覧ください。
松本さん
矢島
松本さんご自身は、何歳の頃からこの祭りに参加してこられたのでしょうか?
矢島
松本さん
だいたい小学校中学年頃だったと思います。当時は子どもも多く、祭礼の参加者も今と比べてもとても多く、盛大に開催されていた記憶があります。
松本さん
矢島
八朔祭礼に対して、どのような想いをお持ちですか?
矢島
松本さん
やはり富来において最大の行事だと思います。「お盆や正月に帰らなくても、祭りには帰る」と言われるように、祭礼には多くの人が戻ってきますし、老若男女問わず祭礼を楽しみにしています。これは守っていかなければならない文化だと思います。新型コロナウイルスや能登半島地震で継続が危ぶまれた中、先輩方がつないでくれた伝統を絶やすことはできないという思いが強く、まだ復旧・復興の途上ではありますが、今年は通常開催を各所と協議し、決定しました。
松本さん
矢島
祭りの中で、特に好きな場面や印象的な瞬間はありますか?
矢島
松本さん
八朔祭礼の見どころは、各集落のキリコや神輿が集合するところだと思います。1日目は、明かりを灯したキリコが八幡神社の参道に並ぶので綺麗ですし、2日目の増穂ヶ浦海岸での巡行では、約10基の神輿が整列するので見どころだと思います。あとは、八幡神社へ宮入りする際に境内へ駆け上がっていくところも勇壮で、見どころだと思います。
松本さん
矢島
世代によって祭りへの関わり方は変化していると感じますか?
矢島
松本さん
集落の役員、地区ごとの役員、八朔祭礼の役員などを務めると、関わり方は変わってくると思います。若い世代はキリコや神輿の担ぎ手が主ですが、運営や進行を受け持つと、祭りの伝統や知識を持っていないといけない部分もあります。そういった意味では、世代によって祭りへの関わり方は変化するのかなと思います。
松本さん
矢島
観光客や外から訪れる方々に、ぜひ知っておいてほしい「祭りの本質」は何だと思いますか?
矢島
松本さん
本来、八朔祭礼は「くじり祭」と言われるように、奇祭として語られる面もあります。祭りの本質と言えば、荒々しさがあり、昔はそうした要素も含まれていたと聞きます。
町外から訪れる方に知ってほしいのは、祭りの起源が男神と女神の一夜の逢瀬を祝うことにあるとされ、1000年続くとも言われる歴史ある祭礼だということです。そして、キリコや神輿が隊列をなし、街中を練り歩く勇壮さではないかと思います。
松本さん
  • 2025年_執行部
  • 2025年_役員集合写真

インタビュー|貝田区 宅田瑛さん

  • 写真右:宅田 瑛(たくだあきら)さん
  • 小さい頃の宅田さん

幼い頃から能登で育ち、今回の祭礼でも姉妹で太鼓を披露した宅田さん。祭りの活気にもかき消されない力強い音色に、思わず聴き惚れてしまいました。

矢島
八朔祭礼にはいつ頃から参加していますか?
矢島
宅田さん
私は保育園児の頃から、両親の影響で祭りの衣装に身を包み、この祭りを楽しんできました。
もともと両親の仕事の関係で、生まれてから小学3年生までは七尾市に住んでいたのですが、小学4年生の時に父の実家がある志賀町へ引っ越してきました。それを機に、地区の子供会が出しているキリコを担ぎ始めるようになり、以来、毎年欠かさず参加しています!
宅田さん
矢島
宅田さんが楽しそうに姉妹で太鼓を叩いている姿が本当に素敵でした!祭りのなかで太鼓を叩くようになったのはいつからですか?どんな気持ちで叩いているのかも教えてください!
矢島
宅田さん
キリコを担ぎ始めたのは小学4年生の時です。太鼓は父の影響で、志賀町に引っ越してきてすぐに習い始めました。
父からは、祭りの道中で打つ太鼓には「休憩中も祭りの熱気を絶やさず、観客を飽きさせない」という大切な役割があるのだと教わりました。そのため、常に「見てくださっている方々に楽しい気持ちになってもらいたい」という心を込めてバチを握っています。
何より、祭りのなかで打つ太鼓は、私自身にとってどの場所で打つよりも一番心が躍り、最高に楽しめる瞬間です!その楽しさが、私たちの太鼓を通じて見ている人にも伝われば嬉しいです。
宅田さん
矢島
八朔祭礼の中で、一番好きな瞬間はどこですか?
矢島
宅田さん
一番好きなのは、本祭で貝田のお神輿が宮入りする瞬間です。貝田の宮入りってとっても綺麗なんです…。
宮下の鳥居から、観客に祭り唄を響かせながら、神様のもとへ向かって堂々とまっすぐに登っていく姿。そして辿り着いた瞬間、豪快に繰り出されるぶれのない「さーせー」という掛け声は、見る者すべての心を鷲掴みにします。
私は「祭りは参加してこそ華」だと思っているタイプですが、お神輿の担ぎ手は男性に限られていて、私が担ぐことは叶いません。そのことに毎年少しだけ寂しさを感じる自分もいるのですが…。それでも、一番好きな瞬間を聞かれたら「貝田の宮入り」と答えざるを得ないほど、毎年その綺麗さに深く魅了されています。
宅田さん
矢島
ご自身が子どものころに見てきた八朔祭礼と、いまの祭りで “変わったな” と感じる部分はありますか?
矢島
宅田さん
一番の変化は、やはり地元の若者が少なくなっていることです。
私が子どもの頃は、キリコや神輿の担ぎ手が少し足りない時に、知り合いに声をかけて手伝ってもらうという光景をよく目にしました。しかし最近では、その「少し足りない」というレベルを超え、担ぎ手の半分近くを他地域の方々に頼っているのが現状です。
少子高齢化の影響を肌で感じ、仕方のないことだと理解はしていますが、地域の宝である祭りの維持が年々難しくなっていることに、寂しさと危機感を抱いています。
宅田さん
矢島
これから先、八朔祭礼がどんな形で続いていってほしいと思いますか?
矢島
宅田さん
かつてこの祭礼は男性が主役でしたが、少子高齢化や人口減少が進む今、これまでの形に縛られすぎず、老若男女や国籍を問わず、誰もが参加できる祭りであってほしいと願っています。参加する人も、観客も、その場にいるすべての人が一体となって楽しめる……そんな祭礼が私の理想です。
また、能登半島地震を経験し、これまでの日常生活や、祭りを開催できることが決して「当たり前」ではないのだと痛感しました。多くの人がこれまでに味わったことのない絶望や悲しみを抱える中、それでも能登の各地には太鼓の音が響き、絶望に包まれた地域をキリコの灯りが照らしていました。
あの瞬間だけは、誰もが辛い現実を忘れ、自然と笑顔を取り戻していました。
「祭りなくして復興はない」
これは決して大袈裟な言葉ではありません。人の心を前向きにし、地域を一つにする。そんな圧倒的な力が、私の大好きな祭りにはあると思っています。
能登の力の源とも言える「キリコ祭り」の灯を絶やすことなく、祭りとともに復興への道のりを歩み、次世代へと繋いでいきたい。私自身もその一人として、これからも微力ながら全力で祭りに参加し、盛り上げていきたいと思っています。
宅田さん

宅田さんが姉妹で奏でる太鼓の音色、是非お聴きください!

基本情報

冨木八朔祭礼(通称くじり祭り)

【開催地区】石川県志賀町富来地区

【開催日】毎年8月第4土曜日と翌日の日曜日

冨木八朔祭礼(通称くじり祭り)

(2)小木袖ぎりこ祭り(石川県能登町小木地区)

小木袖(おぎそで)ぎりこ祭りは、能登町小木地区で毎年9月第3土曜日と翌日の日曜日に行われます。港町ならではの道を練り歩く「袖キリコ」と呼ばれる、独特の扇型のキリコが特徴です。初日の23時頃、御船神社に向かう細い階段を袖キリコが押し上げられる姿には、他では見ることのできない迫力があります。 

インタビュー|下浜地区 林さん

  • 左から林さん、町内会長の吉岡さん

祭り当日、袖キリコの進行役を担っていた林さんにお話を伺いました。

矢島
2025年の袖キリコは、何基出たのでしょうか。
矢島
林さん
今年は8基ですね。本当は全部そろえたかったんですけど、地震の影響で道路が分断されてしまった地区が一つあって、そこだけはどうしてもキリコを出せなかったんです。
林さん
矢島
一つだけ出せないというのは、なんとも悔しいですね……。
矢島
林さん
そうですね。出したい気持ちはあるけど、“出せない”ってことを受け止めるしかなかった。それでも、祭り自体をやめる理由にはならないですからね。
林さん
矢島
能登でも他に例を見ない袖キリコの形状。こちらにはどんな由来があるのでしょうか。
矢島
林さん
はっきりとは分かっていないんですけど、ねぶたに由来しているんじゃないかっていう説もあります。あとは、形が奴(やっこ)の袖みたいだから“袖キリコ”って呼ばれるようになった、って話もありますね。
林さん
矢島
私はまだ能登に来て2年足らずで、知らないことが多いのですが……。地域ごとに祭りへの思いは違うのでしょうか。
矢島
林さん
違いますよ!でもね、みんな自分の町の祭りが一番だと思ってるんです。そうじゃないと、ここまで長く祭りの文化は続いていないと思います(笑)
林さん
矢島
規模が小さくなっても、続ける理由は何でしょうか。
矢島
林さん
たとえ一基しかキリコが出せなくても、祭りは開催する。それが小木の考え方です。でも、他の地域も同じじゃないかな。私たちにとって、祭りをやらなくなってしまう方がよっぽど怖いんです。
林さん

小木袖ぎりこ祭り

【開催地区】石川県能登町小木地区

【開催日】毎年9月第3土曜日、日曜日 

(3)西海祭り(石川県志賀町西海)|復活への取り組み

今回体験した祭りの中で、筆者自身が協力者としても関わったのが西海祭り(さいかいまつり)です。西海には、女性が担ぎ手となる「女ギリコ」が伝わるなど、地域ならではの特徴があります。震災後の2024年はキリコや神輿の損傷により開催を見送らざるを得ませんでしたが、2025年は県内外から数十名の協力者を募り、実施されました。

着付けとして参加して見えたこと

  • 前掛けまでつけるのが西海スタイル

今回は担ぎ手としてだけでなく、着付けの協力者としても参加しました。独特の着物を整えながら交わした会話の中で聞こえてきたのは、かつては当たり前だった祭りの風景や、一度はこの伝統が途絶えかけた不安といった、観光客として訪れるだけでは聞き取りにくい本音の声でした。

インタビュー|風無地区 風無壮年会会長 西崎洋英さん

まずは、2025年の西海祭りで会長を務めた西崎さんにお話を伺います。

矢島
今回は本当にお疲れ様でした……!!初めて西海祭りを知る方に向けて、歴史や特徴を簡潔に教えていただけますか?
矢島
西崎さん
本当に満身創痍です(笑)。西海祭りは港町ならではで、豊漁を願い、祈りを込めて行われる祭礼です。西海は特に船乗りが多い集落なので、祭りの時期に男性の担ぎ手がいないことがあり、男性の代わりに女性が担ぎ手になったと言われています。
西崎さん
矢島
今回の西海祭りが復活するにあたり、壮年会としてどのような役割を担われましたか?
矢島
西崎さん
壮年会としては、祭礼全般を円滑に進行するために、キリコの準備や道中の安全確認、トラブル防止などに取り組んできました。それと同時に、過疎化による担ぎ手不足などの問題にも積極的に向き合ってきました。
西崎さん
矢島
今年の祭りで特に印象に残っている出来事や、胸を打たれた瞬間はありましたか?
矢島
西崎さん
風無(かざなし)地区と風戸(ふと)地区が途中で合流することに、西海祭りの醍醐味があると考えています。ただ、風戸地区は担ぎ手不足や地震による悪路の問題で、合流が難しいと事前に通告がありました。それでも、なんとか合流できるところまでこぎつけて、安堵しましたね。地域のみんなや壮年会のメンバーからも、感動したという声が上がっていました。
西崎さん
矢島
外から来た方(移住者・ボランティア・観光客)に知ってほしい、西海祭りの“本質”とは何でしょうか?
矢島
西崎さん
能登の祭り全般に言えますが、冬の日本海のような荒々しさが特徴です。キリコや神輿がぶつかるハラハラする感覚や軋む音、キリコ同士の駆け引き。さらに、西海では女性が担ぎ手として活躍する場面もある、伝統ある祭りです。一年の中で、地域の人が日頃の思いを解き放つ日が、祭りの日なんです。
西崎さん

協力者インタビュー|TOGISOオーナー 佐藤正樹さん

  • 左:西崎さん、右:佐藤さん

佐藤さんは志賀町の赤崎地区で、古民家宿「TOGISO」を営んでいます。存続が危ぶまれていた西海祭りの復活に向けて、外部から約25名の協力者を集め、1基のキリコを担ぎました。

矢島
今回、西海祭りの復活に携わることになった経緯を教えてください。
矢島
佐藤さん
お世話になっている網元さん(西崎さん)から相談がありました。震災後に祭りを復活させようとする地域のみなさんの姿を見て、「自分に何ができるのか」と改めて考えるようになりました。
佐藤さん
矢島
初めて参加された西海祭りの文化や風習の中で、特に印象に残ったものは何でしたか?
矢島
佐藤さん
参加者を家に招いて食事をふるまう「ヨバレ」の体験です。地域の方々と直接交流でき、昔の様子を聞くこともできて、楽しく過ごせました。
佐藤さん
矢島
復活に向けた準備の中で、「外から来た自分だからこそ果たせた役割」があると感じた場面はありますか?
矢島
佐藤さん
東京と能登の両方で活動しているので、SNSなどを使った外部への情報発信や参加者募集で力になれると考えていました。結果的に多くのメディアに取り上げていただき、翌日の朝刊にキリコを担ぐ参加者の笑顔が掲載されていたことは印象的でした。
佐藤さん
矢島
逆に、「これは地域の方だからこそできる」と強く感じた瞬間はありましたか?
矢島
佐藤さん
事前の準備や段取りです。言ってしまえば当たり前かもしれませんが、地域の方の協力があってこそ西海祭りは成り立っていると感じました。
佐藤さん
矢島
今後、西海祭りを続けていくために大切だと感じたことはありますか?
矢島
佐藤さん
困難を跳ね除ける強い情熱が必要だと感じました。西海祭りには、女性がキリコを担ぐ文化があることも特徴の一つです。人員や金銭面での課題は山積ですが、今後も継続できるよう工夫を重ねる必要があると思います。
佐藤さん

協力者インタビュー|大阪からの助っ人「あんちゃん」

  • 写真右:あんちゃん

あんちゃんは、今回の祭りで大阪から助っ人として駆けつけてくれた筆者の友人です。震災前から能登に足を運んでおり、震災後も年に数回、TOGISOを訪れてくれています。現地で食事やお酒を楽しみ、宿泊や買い物を通じて、能登を継続的に応援してくれています。

矢島
西海祭りに参加したきっかけを教えてください。
矢島
あんちゃん
TOGISOのオーナーから誘っていただき、お祭りが大好きなので参加させていただきました!
あんちゃん
矢島
実際に参加した西海祭りはどんな印象でしたか?
矢島
あんちゃん
活気のある力強いお祭りだなと感じました。「ヨバレ」という文化が、令和の時代とは思えないほどオープンで、すごいなと思いました!
あんちゃん
矢島
地域の方との交流で特に心に残ったエピソードがあれば教えてください。
矢島
あんちゃん
地元を離れていた若い人たちも帰ってきていて、みんなで宴を開き、祭りの歌を歌って踊ったりしました。ヨバレでお宅に招いてくださるみなさんがとても優しくて、「なんでも食べて飲んでいきなよ〜!」と迎え入れていただいたことが嬉しかったです。
あんちゃん
矢島
参加してみて“難しかったこと”や“戸惑った点”はありましたか?
矢島
あんちゃん
どこまで続くのか分からない長い距離を、かなり重い神輿を担いで歩き続けることに戸惑いました。道中の休憩がどれくらい続くのかも分からなくて、今ヨバレにお邪魔していいのかどうかが分かりにくかったことも戸惑いました。
あんちゃん
矢島
また能登に来たいと思いますか?
矢島
あんちゃん
はい!毎年行きます!!!
あんちゃん
  • よばれに参加した様子

西海祭り

【開催地区】石川県志賀町西海地区

【開催日】毎年8月14日

初めての人のための見学マナーと安全について

能登の祭りは、観光イベントというよりも、地域の暮らしの延長線上で行われる行事です。初めて訪れる際は、以下の点を意識することで、担ぎ手や地域の方々と気持ちよく時間を共有できます。


▶見学時の基本マナー


  • ・撮影は周囲を確認してから

  • 担ぎ手の進行を妨げない位置で行い、フラッシュ撮影は控えましょう。


  • ・キリコや神輿の進行ルートには立ち入らない
    夜間は視界が悪く、担ぎ手にとっても見学者にとっても危険です。 


  • ・呼び止めての会話は避ける
    大の大人が数十人で担いでも、肩にかかるキリコの重みは凄まじいものです。キリコの進行が止まるまで声掛け等は控えましょう。


・「ヨバレ」は各家庭が親戚や知人などを招いて、祭り料理「ごっつぉ(ご馳走)」でもてなす文化です。 

初めて訪れる方は、招待がない場合は屋台やキッチンカーなども利用しながら祭りを楽しみましょう。


▶服装・持ち物の注意


  • ・担ぐ場合は動きやすい服装、スニーカー推奨

  • 予め参加する自治体が決まっている場合、必要な持ち物を確認しておきましょう。


  • ・夜は冷え込むため、羽織ものがあると安心

真夜中まで続くのが能登の祭りの醍醐味。蒸し暑い時期でも、見学者は羽織ものを1枚用意すると安心です。虫よけにも役立ちます。


  • ・両手が空くバッグが便利

  • 参加者も見学者も長時間歩き回るため、ファスナー付きの小さめのショルダーバッグ(サコッシュなど)がおすすめです。


▶子ども連れの場合


  • ・人混みでは必ず手をつなぐ

  • ・キリコの下には近づかない

  • ・事前に「音や人が多い」ことを伝えておく


能登の祭りは、「観光客に見せるため」ではなく「地元民がその土地のために行う」祭礼です。その空気を尊重することが何よりのマナーであることを忘れないようにしましょう。

  • 道の駅 とぎ海街道で購入できるサコッシュ

石川県“祭りお助け隊”の活動紹介

能登半島の祭りに参加してみたい!という方に向けて、石川県の「祭りお助け隊」を紹介します。

祭りお助け隊は、人手不足に悩む地域と、祭りに関わりたい人をつなぐ取り組みです。担ぎ手だけでなく、準備・片付けなど多様な関わり方が用意されています。まずはボランティア登録を行い、派遣募集中の祭りから参加したいものに申し込みます。 


文化を未来につなぐため、能登の祭り文化は今、「地域だけで守るもの」から「関わりたい人と一緒に支えるもの」へと広がりつつあります。重要なのは規模ではなく、どう実現させるかという住民一人ひとりの意識。能登の祭りは、見るだけで終わらせるには、あまりにも人の温度が近い文化です。


< 活動内容 (例)>

(1)キリコの組立、松明の作成など、祭りの準備
(2)キリコの担ぎ手や山車の引き手など、祭りの運行
(3)会場設営、道具運搬、片付けなど、祭りの運営補助
(4)上記のほか、目的達成のために必要な活動


もし機会があれば、この夏にぜひ「担ぐ側」「関わる側」として、能登を訪れてみてください!

石川県“祭りお助け隊”について

ページ内のリンクより、事前に登録が必要です。

登録いただいた方には派遣ニーズ情報がメールで届きます。

まとめ

能登の祭りは、キリコや神輿の迫力だけでなく、暮らしの延長にある地域文化です。本記事では2025年に現地で祭りを体験し、冨木八朔祭礼・小木袖ギリコ祭り・西海祭りを取材しました。担ぎ手不足や震災の影響がある中でも、「一基でも続ける」という覚悟や、地域内外の協力で復活へ動く姿が見えてきます。

また、祭りの日に用意されるご馳走「ごっつぉ」で招き合う「よばれ」といった地域の支え合いの文化、さらに石川県「祭りお助け隊」のように担ぎ手だけでなく準備や運営にも関われる外部協力の仕組みも紹介しました。見学時は安全とマナーを守り、能登の祭りは、見るだけでなく“支える側”として参加できる文化です。

また、「今行ける能登」という特設ページでは、能登地域で現在訪問可能な施設イベント情報を随時更新中です。

皆様に能登の観光地にお越しいただくことが、被災地の早期復興につながります。ぜひチェックしてみてください。

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