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津幡町-いにしえの記憶をたどる道 ~倶利伽羅峠~

「峠越えの拠点 ―竹橋宿から倶利伽羅峠へ―」

倶利伽羅峠は、石川県(加賀)と富山県(越中)を結び、古代・中世には「北陸道」として、近世では「北国街道」として交通の要衝となり、長く人々が旅の往来を繰り返す中で、寺社や古戦場など色彩豊かな文化遺産が残され、豊かな自然景観とともに今に息づいている。峠越えの拠点となった竹橋宿。そこには本陣とされた屋敷跡や旅の安全を祈る石造三十三体観音像が残る。山中に入ると、尾根筋の切り通しや「一騎討ち」の名をもつ隘路が道行く人を出迎える。現在の路面の地下には、側溝が備えられ、中央が盛り上がっていた北国街道の姿が遺構としてある。歩いてみれば、沿道には街道を維持した「道番人屋敷跡」や当時の旅人たちの憩いの場でもある「馬洗い場跡」など、街道にまつわる歴史に気づく。



「街道と国境をめぐる戦いの記憶」

峠の中腹に至ると、街道に接してそびえ立つ龍ヶ峰城跡の威容が目に映る。いま、金沢平野から日本海までを一望する絶好のビュースポットとなっているこの高台には、中世から近世初頭にかけて幾度も戦いの舞台となった山城があった。この城は、戦国大名の前田利家と佐々成政が戦った際も戦略上の要地とされた。城跡に登れば、美しい風景とともに、源平合戦、承久の乱、一向一揆など多くの戦乱の舞台にもなった倶利伽羅峠に思いを馳せることができる。

「三国を見渡す絶景と山上の祈りの空間」

標高277mの頂きに立てば、三国を見渡す絶景が現在も変わらずある。越中側には我が国最大級の散居村が広がり、その背景には雄大な立山連峰が佇む。加賀側には古代より人々が仰ぎ見た霊峰白山、金沢平野、日本海。そして、能登の山並みまでが一望できる。この風景は、難所を越える旅人の癒しとなった。そして、いつからか、水神である黒龍の伝説がこの地に生まれた。「倶利伽羅」の名は、不動明王の化身である龍王を表すサンスクリット語の音を写すものである。現在も山上には1300年の歴史を持つ倶利迦羅山不動寺が鎮座し、多くの人々の信仰を集めている。

【龍ヶ峰城跡】

街道を見下ろす交通上の要地に位置する山城跡。上杉謙信と一向一揆の戦いの場となり、後に佐々成政と前田利家が北国の覇権を争い、攻防戦が繰り広げられた。本城跡から加越国境沿いの城跡群が一望できる。

【倶利伽羅合戦図屏風】

江戸時代、津幡の絵師池田九華(いけだきゅうか)によって合戦の様子が描かれた屏風。源平盛衰記(げんぺいせいすいき)に記載されている「火牛の計」の様子が描かれている。




【倶利迦羅山不動寺からの眺望】

散居村が広がる砺波平野や雄大な立山連峰を眺望することができる。


【北国街道倶利伽羅峠道】

倶利伽羅峠の西約2kmの未舗装区間。街道の景観は良好で、路面には道路側溝が残り、近世の街道の様子をうかがい知ることができる。


【手向神社石堂神殿】

古くは万葉集に「手向の神」と記されている。近世初期に加賀藩三代藩主前田利常により建立された。不動堂、のち御影堂と称した。神殿は越前の笏谷石(しゃくだにいし)製で、もとは九尺四方の高欗付きであった。

【長楽寺跡(現・倶利迦羅山不動寺)】

養老2年(718)善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)による開山と伝えられる古刹。門前には茶屋が並んでおり、峠越えの旅人の憩いの場ともなっていた。