いしかわの菓子「歳時記」 Vol1 前田家と菓子文化

いしかわの菓子「歳時記」 Vol1 前田家と菓子文化
いしかわの菓子「歳時記」 Vol1 前田家と菓子文化
石川県菓子工業組合理事長 髙木慎司さん

石川県菓子工業組合理事長髙木慎司さん

大正14年創業 菓匠 髙木屋の店主。
「紙ふうせん」は第22回全国菓子大博覧会 大臣栄誉賞などを受賞している。金沢で味一筋に歩む和菓子処の店主。

美緑トモハルさん

美緑トモハルさん

石川県白山市出身の女優。舞台の他にもダンスの振り付け師、CMのナレーションなど様々なジャンルで活躍している。

いしかわの菓子「歳時記」 では、ゲストに石川県菓子工業組合理事長の髙木さん、聞き手に美緑トモハルさんを
お迎えして、石川のお菓子事情について対談形式でお話をお伺いしていきます。

前田家と菓子文化

美緑 トモハル(以下、美緑) :石川県金沢は、日本の菓子三大処としても有名だと思うのですが、石川の菓子文化の歴史的な背景について教えてください。

髙木理事長(以下、髙木) :金沢は、古くから茶の湯の文化が発達していたことが背景にあると思いますね。
加賀百万石のいしずえを築いた前田利家公は多くの文化を奨励した殿様として有名で、中でも、茶の湯への関心が高かったといわれており、利家から始まる歴代の藩主が茶の湯に大きな関心を持っていたとされています。利家や二代藩主の利長は千利休の直弟子であり、三代藩主の利常も、江戸初期の大茶名人である小堀遠州や金森宗和、仙叟千宗室(せんそうせんのそうしつ)に学んでいたそうで、加賀藩を挙げて茶の湯を奨励していたといわれています。

美緑 :なるほど。そこから茶の湯に欠かせない、菓子の文化が金沢で育まれたという事なんですね。和菓子の繁栄は、前田家の繁栄の歴史ともいえますね。

髙木 :その菓子作りがいつから始まったのかということについては、さまざまな説があるのですが、最も古いものは、1590年(天正18年)、利家が入府した際に遡るといわれています。
その頃は、城の周囲に菓子屋はなくて、そこで、当時の御用菓子処だった堂後屋三郎衛門が、片町に1600坪の邸宅を拝領し、餅菓子店を始めたのが元祖といわれています。
茶の湯の文化が発達するに伴って、菓子需要も高まり、技術もどんどん向上していったようです。

美緑 :金沢の伝統的な菓子のひとつとして、小さい頃からよく目にしている「五色生菓子」は、加賀藩に珠姫が御輿入れをした時に生まれたという話しを聞いたことがあるのですが?

髙木 :はい。利長の時代に、藩の御用菓子師だった樫田吉蔵が五色生菓子を考案し、1600年(慶長5年)、珠姫が金沢へお輿入れする際、五色生菓子を収めたといわれています。
一般家庭にもそのお祝い方式が伝わっていき、五色生菓子が入った大きなせいろが婚礼時に家の前に置かれ、式典後に親族や近隣住民に配られるようになりました。

五色生菓子

五種一組になっており、広く祝儀用として使われ現在に至っています。
日月山海里を象り大自然の恩恵に感謝の意を表しています。
日・・・太陽をかたどり、円形の餅に紅色は日の出
月・・・白い饅頭は月
山・・・黄色く米粒をつけた「いがら餅」は山を象徴
海・・・菱形の餅は海面の波
里・・・蒸し羊羹は村里

五色生菓子

五種一組になっており、広く祝儀用として使われ現在に至っています。
日月山海里を象り大自然の恩恵に感謝の意を表しています。
日・・・太陽をかたどり、円形の餅に紅色は日の出
月・・・白い饅頭は月
山・・・黄色く米粒をつけた「いがら餅」は山を象徴
海・・・菱形の餅は海面の波
里・・・蒸し羊羹は村里

美緑 :では、石川・金沢の和菓子の特徴とはどういったものなのでしょうか?

髙木 :そうですね。
それは、「味覚」「嗅覚」「触覚」「視覚」「聴覚」の五感で楽しむことができることでしょうね。 これを最も感じることができるのは、茶の湯で出される上生菓子であり、多くの菓子店が上生菓子を手掛けています。

髙木 :そして、湿度の高い金沢では、かつて砂糖を多めに入れることでその保存性を高める工夫が施され、他の地域よりも少々甘みが強い所も特徴的だと言われています。
さらに、積雪が多い寒冷地であるため、カロリーをしっかり摂取するために甘みを強くしたという説もあるんですよ。

美緑 :金沢で慣れ親しまれている数多くの和菓子。その背景には、茶の湯の歴史・文化があり、そこから金沢の気候風土に合わせて、独自の発展を遂げていったのですね。

次回は、菓子がどのように、一般庶民の生活に浸透していったのかということを、お聞きしたいと思います。