富樫の家を訪ねた弁慶を待ち、義経主従はここ大野湊神社で一夜を明かしたとされる。そのため義経の一夜泊りの宮と呼ばれている。
その後の逃亡ルートは富山の如意の渡しに向かったという説が一般的だが、海が近かったため、義経主従はここから舟で佐渡を目指したが、奥能登に流された、という説もある。
九璋の「義経が 一夜とまりの 宮さくら」の句碑や、義経が奉納したという甲冑、信田笈捜図巻(義経主従の動向を描いた図巻。社殿で休んでいる義経らがうかがえる。現在社にあるものは模写。)などが奉納されている。源平合戦の巨大な絵馬も置いてある。
また、義経が訪れたときには社はもっと海岸よりにあったが、焼失により現在地に移転。現在の神社は前田利家によって再興されたものである。
義経記の巻第七には…
それより大野の湊にて参り逢ひけり。「如何に今まで久しく、如何に」と仰せられければ、「様々にもてなされて、経を読みなどして、馬にて是まで送られて候」と申しければ、武蔵を人々上げつ、下しつまぼりける。…
と記されている。 (岩波書店/日本古典文学大系37・義経記より)
問い合せ先:大野湊神社 076-267-0522 |

大野湊神社本殿

信田笈捜図巻 |